功法の力

空海の三鈷杵(さんこしょ)について観自在寺を訪れたことで、書き始めた金剛杵(こんごうしょ)の使い方の続き、三回目です。

エネルギーを送っていないときには、三鈷杵の一列に並んだ三つの先から、直線的な板のような境界線のように感じるエネルギーが出ています。

真ん中を持って、エネルギーを送る意念を持つと、太く鋭く硬い、強固な平べったい板のようなエネルギーが境界線のように、より強力に出ます。

エネルギーを真ん中から、取り入れようと作用させると、
三鈷杵では、一列に並んだ三つの先端が作る平面に沿って、左右に揺らぎながら二次元的に先端に向かってエネルギーが入ってきます。

独鈷杵は一点から、或いは一点に向かってエネルギーが出入りします。

それに比べ、三鈷杵では、平面的なエネルギーの移動がある為、より強力でなおかつ多面的な使用方法が可能となります。(つづく)

観自在寺の写真が、こちらで見られます。

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潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-四国霊場巡り 40番 観自在寺 三鈷杵
photo by Sigma DP1

功法の力

観自在寺を訪れたことで、書き始めた金剛杵の使い方の続きです。

金剛杵(こんごうしょ)には、大きく分けて二通りの使い方があります。
エネルギーを放出する使い方と、エネルギーを取り入れる使い方です。

使う者の技量により使い切れないので、使用を許される段階が過去には存在したようです。
独鈷杵、三鈷杵、五鈷杵の順に使い方が難しくなります。

先回、このほかに九鈷杵などもあると書きましたが、実はこの九鈷杵などはまがい物です。
多ければ多い程良いのだろうと思った後世の者が訳も判らず作った物で、何の意味もありません。

通常は真ん中を持ち、両端からエネルギーを発したり、取り入れたりします。
功力のない者が訳も判らず持ったりすると、身体の気が抜けてしまい腑抜けのようになったり、病気になってしまったりする危険性があります。

何の意念もなく独鈷を持つと、独鈷の先からは、まっすぐにやわらかいエネルギーが出ます。
意念を持って独鈷杵からエネルギーを出すと、両端から出ていくエネルギーは大きくすり鉢状に拡がっていくように変わります。
持っている人がエネルギーを取り入れる意念を持つと、
独鈷杵の先から、 エネルギーが回転しながら、集約されて周囲より先端に向かって吸い込まれていくように流入します。
エネルギーの回転が、持っている人から独鈷杵に向かい、向かって左は左回り、向かって右は右回りになります。

また、人に作用させるときは、独鈷杵では、持つ者にとって左回りで入っていき、右から出て作用します。(つづく)

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潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with シグマDP1,パナソニックLX3サイキック写真-四国霊場巡り 40番 観自在寺 独鈷杵photo by Sigma DP1

功法の力

「四国霊場88ヶ所」霊場巡り 40番 観自在寺は、弘法大師空海が開いた霊場です。

大師が42歳の頃、弘仁6年(815)に開創されたと伝えられています。
この寺に、巨大な金剛杵(こんごうしょ)三本が安置されています。
独鈷杵(とっこしょ)、三鈷杵、五鈷杵です。
この三種が一般的で、他にも九鈷杵などが存在はしますが、殆ど見ることはありません。
通常の物は、16,7センチから大きくてもせいぜい20数センチメートルくらいの物ですが、
ここ観自在寺の物は、70センチ位の特大サイズなのです。
現在残っている空海の図や、像などでは必ず右手に不自然な形で三鈷杵か五鈷杵を持っています。

参考:ウィキペディア「空海」は、こちら

これら金剛杵は、密教の法具で、宗教上の儀式にて使用される物ですが、色々調べてみてもその正しい使い方や、
その存在の意味を正確に伝えているところは見あたりません。
正しくは、これらがどのように使われていたのか、次回お話ししたいと思います。

こちらをクリックしても、観自在寺の写真が見られます。

病気と気功 気功教室日之本元極 見えない力で不思議に元気-四国霊場巡り 40番 観自在寺 五鈷杵

病気と気功 気功教室日之本元極 見えない力で不思議に元気-四国霊場88カ所巡り 40番 観自在寺

功法の力

そしてその独特の修錬の結果として、天・人「共同語」である元音の把握が可能となるのである。張先生は続けて語る。

元極功の独特の修錬方法は、元極図(現在では、もとつきわみ図)の原理に基づいて制定されたのである。
元音は天地万物の「共同語」であって、有・無を貫通する性質を持ち、天地人を召喚して自然の秩序に従って同調して、真空界に帰還するのである。
自然界の音(おん)はみな一々人体の各部位に相対応していて、そして人体内の音も刻々自然界の存在に対応している。
この二筋の情報流が人体内で昇降、出入りしたりして、間断なく対応している。
天・人の間に二筋の情報流が存在していて、心身の間にも同様に二筋の情報流が存在している。
人の思考している事は、心身を貫通すると同時に天地にも貫通している。元極功が十字真言(現在では十二字真言)を黙念することによって、
訣が生化して音となって、人体内の二筋の情報流を連接して、無窮に循環する「天人の合体」を形成するのである。

この元極独自の元音の生発、共鳴、伝達の功能を身に着けることが、「拈華微笑」の伝達方法の基本なのである。
 (完)

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功法の力

更に、張先生は次のように続けます。

各家各派の修錬の啓蒙段階もみな理論の学習から入門して、先ず要訣の解悟から着手するのである。元極功と違うのは、訣を黙念する過程を錬功に入る前の段階において、そして訣のエネルギーを大脳の中に貯存しておき、錬功・内省・参禅・練丹などの実践に移るとき、本門の功法要訣に対して、自分の解悟した部分を整理して、自らの訣を作り出して、錬功の全過程を指導する。最後に自作の訣が完全に功法の精義に適合することが検証されたとき、即ちこれを「得道」したと言う。黙念をしないようであるけれども、実際には黙念が始終錬功の全過程を貫通している。ただ人々がこれを見落としたに過ぎない。

元極功は元極功訣「三元」自身の特性と元極功エネルギーの発生発展法則に基づいて、功訣を黙念する特殊な方法を採用したのである。始めから終わりまで功訣を黙念することによってエネルギーを展現し、そして竅穴に働きかけて、逐次に竅穴を「音化」する。一旦竅穴の音が玄関(上丹田)の音(心音という)と徹底的に貫通すれば、訣の情報としてのエネルギーが展現されるようになり、同時に訣の内包も悟得されるようになり、修錬の境界もこの悟得と共に絶えずに高められていく。

元極功法「功訣の黙念」の効用がお判りになっただろうか。
諸家諸派の功法が、一人一人の得道にその成果を依存しているのに比べ、
元極功では先哲の背中に梯子をかけて更に高みに登るようなものなのである。
 (つづく)

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功法の力

ここまで読み進めてきた人の中には、まだ訣を黙念することと「拈華微笑」の故事に象徴される衣鉢の伝承などのことと、
どういった関係があるのかお判りになっていない方も多かろうと察せられます。

元極功法の特色と言える「修錬中の訣の黙念法」について、
張先生は次のように著作の中で言及されています。

訣は黙念を通じて、日常生活の中で広範な妙用を展示している。
しかし、それらの多くは自発的な性質に属するものである。
しかして元極功法の修錬方法――「功訣を黙念する」ことは、正に日常の最も普遍的な方法を概括して、
制定されたもので、元極図の「生化返」の規律に基づいて系統化したのである。

そのために、元極功の功訣を黙念する方法には普遍性・簡易性がある。
凡ての修錬方法は、みな功訣を黙念する方法の中から進化したものである。

 (つづく)

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功法の力

張志祥先生は著作の中で、次のような例を挙げてみえる。

霊鷲山(りょうじゅせん)にて、釈迦牟尼が衣鉢(いはつ)を伝える為に全体の弟子を坐前に呼び集める。衆弟子は世尊が説法するに違いないと思っていたら、しかるに世尊は端坐して無言のままでいる。衆人がいぶかっている中を、迦葉(かしょう)が世尊に向かって微笑する。世尊は直に手に持っていた花を迦葉に渡して、自分は既に衣鉢(いはつ)を迦葉に伝えたと声明する(この時、正法眼蔵-しょうぼうげんぞう-を与えたと言われる)

この「拈華微笑」の故事は、即ち「知音相伝」である。それは心音の情報が相互に疎通した為であって、無声の対答の中で心で衣鉢を伝えたのである。禅宗は従来この方法で衣鉢を伝承するのである。談話は音に対する黙念であり、訣に対する変化(へんげ)であって、功能態の下に行われる交流である。談話で病気を治すことが出来るし、談話が功力を増進させることも出来る。古代の各門各派は、みな口授心伝を重視する。その妙用は即ちこれらの原因に基づくものである。

私が、度々錬功会に出てくる人達に、錬功が終わったらサッサと帰るのではなく、その後の談話や、食事会に出席しなさいと言うのは、こういった理由からである。
(つづく)

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功法の力

先回、「伝音」の 波動伝達と申し上げたのは、元極特有の言葉であらわせば、「元音」の伝達ということであり、一般的に判り易く表現したに過ぎない。

何度か、講座の中で私が体内より元音を生発し、「風(ふぉん)」という形でお見せしたのを覚えていらっしゃる方もおいでであろう。この元音生発の功法は、「階み」に昇格すれば、修錬段階として勉強することが出来る。

黙念の基本は、日常会話の中にもある。それについて、張志祥先生が、その著作の中で語っておられる。

談話も訣のエネルギーを表現する一種の方法である。現代のいわゆる「外気を放出する」功に相当する。人が交談しているときは、思想を交談の内容に集中させて、全身のエネルギーを動員して談話に応対する。意気投合して話に脂がのってくると交談者は「功能態」に入るのであり、体内の「音」が高度に組み合わされて配列し、口から妙語、警句が連発される。この時は特異なエネルギーが放出されていて、聴者を魅了してしまって、その喜びに従って喜び、その悲しみに従って悲しむ。これはエネルギーが聴者に働きかけて、「共同の音」を出させたのである。音を持って、音を求めるため、双方の心音が同調までに達する。これが即ち共鳴であり、知音である。

 (つづく)

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功法の力

元極功法の功能伝授の方法は、「伝音」である。
伝授者が被伝授者に対して無音で能力を渡すのである。
それを被伝授者にも判りやすくしたものが、「伝訣」「画訣」「観訣」である。
しかし本来の伝授法は、「伝音」で事足りるのである。

この方法は、古来いろいろな宗派、功法でも用いられているが、呼び名はそれぞれである。
「教外別伝(きょうげべつでん)」「以心伝心」「維摩一黙(ゆいまいちもく)」などと言われているが、
要は同じ事である。

この伝達方法の根本は、「黙念」にあることを知っている者は少ない。
繰り返し、黙念の波動が伝達し、共鳴することによる同調が起こるのである。
日々の黙念の積み重ねが伝達を可能にし、功能の引き渡しが行われるのである。
 (つづく)

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功法の力

場を最大限に良くする為、風水を超越して場を変換する「場創りセット」や、そこに上積みするようにいろいろな風水テクニックを駆使している、日之本元極の高山・新宮修錬処。

まだまだ、やりたいことは色々あるのですが、お金がかかりすぎたり、やるには面倒だったりして、まだ手が付けえられない所があります。既に世界でも希な気の場になって居るこの場所を、更に磨いていくように、時間をかけて改善していくつもりです。

通常の皆さんがお住まいの住居や、マンション、アパートこれらにもいろいろな条件があって、風水的にもどうにも出来ない所はいっぱい存在します。

そんなときは、何の建築的改造もせず設置でき、少なくとも平均的な場よりは遙かに高い気の場を創ることができる「場創りセット」を是非試してみて下さい。

自らの体調で、必ずその効果を確認することが出来ます。

本当に効果を出すことの出来る風水師を探すことは、日本国内では非常に困難なことです。
無理な手法、無駄な経費をかけることなく、日々の生活に高い三元エネルギーで潤いを与えられるよう、場について検討されることを提案します。(完)

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