「すぅ~と」天井まで上がっていくのだそうです。
「あぁ~、気持ちよかったわ。」
と、満足そうにいいます。
勝手に凄い勢いで天井中をかけずり回るのだそうです。
天井まで上がらずに床のあたりを
うろうろ、うろうろと這いずり回っているそうな。
わからへん。
わからへんのんかい?
日之本元極によって開発される数々の潜在能力、功法の原理など
「すぅ~と」天井まで上がっていくのだそうです。
「あぁ~、気持ちよかったわ。」
と、満足そうにいいます。
勝手に凄い勢いで天井中をかけずり回るのだそうです。
天井まで上がらずに床のあたりを
うろうろ、うろうろと這いずり回っているそうな。
わからへん。
わからへんのんかい?
何年も修練し続けた行為に対して元極の掌門人や、
その存在だけで周りの人々に勇気を与えてくれています。
二時間半の修練をこなし、帯功を30分受けて
(週二回の貫頂と、週一回の点竅通経秘薬法も受功)帰って行きます。
そして家では日之本で密かに販売している祝詞集のCDを再生しながら、
自分も大声を出して祝詞を30分かけて唱えます。
この生活を、もう二年半も続けているのです。
本当に凄いのはその修練を続ける力です。
と、仰るかもしれません。
何処も悪くないと医者は言います。
ひと月以上も寝たきりだったら、二度と歩けなくなるでしょう。
直に歩いて通ってくるようになったのです。
先回、
「宝珠杵や、金剛杵(独鈷杵、三鈷杵、五鈷杵)などは、力の充分達していない者が、それを補うべく作られたものです。」
と述べました。
これを更に正確に申し上げれば、
「修業者が、自分の力を補い、大いなる力として人助けに使うために作られた。」
という事になります。
何十年という永い厳しい鍛錬を経て、漸くその技量に見合った法具の使用を許されてきたのです。
しかし、日之本元極では、
徳を積み、人のために自らを生かす事
日に1,2時間の修練と続ける事
神仏に対する畏敬の念を持つ事
などの実践のみで、一年ほどで法具いらずで、同等以上の力が授かるようになります。
この記事を当ブログに書いてから、毎日必ずここを検索して下さる方々が切れる日はありません。
つまり、こうした道具を使ってでも、力を付けたい方々が多い。
あるいはこの道具の使い方をきちんと知っている方々がほとんど居ないからだとも言えます。
こうした物を使わずとも、それ以上の力を発揮できるようになり、
かつ、その使い方など、物を見るだけで判るようになる功法
=日之本元極功法
の拡がりを期待したいものです。
宮城県女川の「レストラン すえひろ」さんのご自宅に古くから伝わる「宝珠杵」について、
使い方を空海より伝授され、マスターにお教えして岐阜高山に帰ってきました。
その後、宮城県女川で使っている「レストラン すえひろ」のマスターの使い方を観じてみると、
どうも本来の力が発揮されていないようです。
そこで連絡を取って、お聞きしてみると、ご本人も私がやったときのような、効果を実感されていないようでした。
お教えするときに当然するものと思い、敢えて言わなかったのですが、
元極功法伝統の秘技「開三門毛孔竅穴」が出来ていなかったのです。
早速それを実行してやって頂いたところ、大きく効力が上がったようです。
そこのところを更に空海に、ご説明頂きます。
これは、誰でもが使えるように設計されています。
ですから、日之本元極の修練で三門を開いて天地のエネルギーを取り入れることが出来る者と、
その力がないために、左の取り入れ口から、取り入れれながら、右から出すという者と違いが出てきます。
エネルギーを取り入れることが出来ない者は、左から直線的に陰陽の調和した気を取り入れて、
自己の身体の蓄えた気と調和調整しながら、右から放射線状に出して働きかけるという方法をとります。
エネルギーを取り入れられない者は、左から直線的にエネルギーを取り入れて、
自己の身体に蓄えているエネルギーと和合調整して、
右から放射線状に出して人に働きかけるということをするのです。
また、場を創るということになれば、右から放射線状に陰陽和合の気を取り入れて、手のひらの中で和合させて、
左から直線的な気を出して場(結界をつくる)をつくるということになります。
よって、これは気の充満はあるけれども、天地の気を同時に取り入れることが出来ない者ように、創ってあります。
あなたが(増田)が使っているときには、天地からエネルギーを十分に取り入れて出すことが出来ているのですから、
左右、両方の気が同時に出すことが出来たということです。
取り入れながら使う者とでは、おのずと使い方が異なってきます。
右からは人に、螺旋状に作用して、
左からは、場を創るような直線的な気のエネルギーが同時に出るというように、
摩訶不思議な使い方となります。
こういう使い方は、誰でも出来るものではありません。
日之本の修練をきちんとしている修練者では、同じような使い方が出来るようになります。
能力のない者は、この使い方をすると気のエネルギーが十分ではないので使えません。
宮城女川のあなた(増田)の弟子の場合は、身体が宝珠杵に協力して反応していますけれども、
きちんと三門と毛孔竅穴を開く意識を持つと、更に効果が上がってくることでしょう。(完)
宮城県女川の「レストラン すえひろ」さんのご自宅に古くから伝わる「宝珠杵」について空海の神に聞いてみました。
空海より
これは、私が創ったものではありません。
私が創った独鈷杵、三鈷杵、五鈷杵は、力を持った者しか使いこなせない物でした。
そこを改良し、ある程度気を扱える者なら使うことが出来るようにしてあります。
今から400年くらい前に創られました。
波動が細かく取り入れが容易にできて、放出する力も優れています。
これは、一般用にうまく使えるように、工夫されています。
これならば、容易(たやす)く誰でも、あなたの生徒のように、気を扱う者であれば 使うことが出来るでしょう。
出る気の波動も調整されて出ますから、人を癒す気持ちのある人ならば、誰でも使うことが出来ます。
注意するべきことは、放出よりも取り入れについてです。
取り入れの時に、スピードが速やかに陰と陽とが調和され、満たされるように創ってあるので、場の悪いところで使ってはいけません。
そこの所をきちんと見極めることが出来なければ、陽の気が過多に入ってしまいます。
陽の気は、鋭くギザギザに入ってきます。
陰の気は螺旋状にやわらかく入ってきます。
この、バランスで入ってくるので、陽の気が自然に過多になります。
病気の者は、「陽」の気が不足している場合が多いので、ある程度のことを見越して、そのように創られています。
取り入れは、左から直線的に陽の気が入ります。
右からは、放射線状に陰の気が入ります。
これによって、取り入れ量は、少々陽の気が過多になります。
病人は、総じて陰の気が過多になるので、施術者の陽の気が少々多い方がバランスが取りやすくなります。
出すときは左から直線的に、陰と陽のエネルギーを取り入れながら、右から螺旋状にでます。
左から取り入れながら出すことになります。
右手に持って、左から取り入れて、右から出します。
入ってきたエネルギーと体内のエネルギーと合一しながら、右手の小指側から出すのです。(つづく)
宮城県女川の「レストラン すえひろ」さんのご自宅に古くから伝わる「宝珠杵」は、
大きく分ければ、三つのことができます。
先回ご紹介した
(1)持った者が気を取り入れること
(2)他人に気を入れてあげることそして今回ご紹介する
(3)結界を張って、よい気の場の領域を創ることです。
それでは続けて空海の神に教えていただきましょう。
場を創るときには、右から取り入れて、左から直線的にエネルギーを出すことになりま す。
結界を張るときのエネルギーは直線状に、出すことが出来るのです。
先回伝えたように、人の身体に作用させるときは、放射線状に包み込むように出すことが出来ました。
意念によって、直線的な気を出すことが出来ます。
そう意識をすればよろしい。
けれどもそこでも注意点があります。
直線上に出す場合には、意念の作用を受けやすくなります。
つまりは、良くも悪くも感情に左右され易いということになります。
きちんと、意識したときに使えば良いのですが、
焦燥感があるとき、惑い、憂い、こだわり、不安、迷いがある時には、使ってはいけません。
もちろん、人に作用させるときにもそういう思いがあるときには、使わない方がよいでしょう。
直線的なエネルギーで場を完成させるためには、包囲する意識を持ちます。
ぐるりと包囲する意識は2メートルまでとします。(一辺を)
通常は、その程度であると考えてください。
高さは、人の高さを意識しなさい。(つづく)
写真をクリックすると、大きくしてご覧になれます。
3/8-3/10/2009に宮城県女川にて日之本元極講座が開かれました。
この講座開催にご尽力いただきました方々のお一人、
「カフェレストラン すえひろ」さんのご自宅に
古くから伝わる「弘法大師様」の像と五鈷杵に似た物が有るということで、拝見させていただきました。
その像は、右手に長い錫杖を持ち、左手は欠けていたのをご主人が彫って付けたという事でした。
私が見た所、「弘法大師」には見えなかったので、その像にいらっしゃる方にお聞きしました。
すると、「私は、弘法大師の弟子で、名前は特別有りませんから、勝手につけて下さい。この家をずっと守護してきました。」
とおっしゃいました。
お呼びするのも、名無しでは不便なので、
その場で「槍法大師(やりほうだいし)」と、お名前を付けさせていただきました。
実は右手の錫杖も、無くなっていたのをご主人が他で見つけてきて持たせたと聞きましたので、
本当は何を持っていたのかとの問いに、「槍を持って、守っていた。」とお答えいただきました。
法師武者か僧兵だったのでしょう。
僧兵が盛んになった平安末期ということであれば、空海の弟子という話も年代的に頷けます。
そして傍らに置いてあった五鈷杵に似た物というのは、五鈷杵ではなく「宝珠杵」という物でした。
以前、私が書いた独鈷杵、三鈷杵、五鈷杵の記事をお読みになって、良く似た物があると教えて下さったわけです。
あまり一般には知られていませんので、ご主人も何か分からなかったのでしょう。
何をする物なのか、その場で使い方をご主人に披露して差し上げました。
― かめ ―(つづく)
観自在寺を訪れたことで、書き始めた金剛杵(こんごうしょ)の使い方の続き、今回が最終回です。
独鈷杵(とっこしょ)、三鈷杵、五鈷杵で出入りするエネルギーの回転がどうして違うのか?
と言えば、以下に示すように、それぞれ特徴的な使い方の違いがあるからです。
独鈷杵は、一途に人に気を入れる様に造られています。
陰陽が調和されたエネルギーが、凝縮されて出入りしています。
向かって左から、天地のエネルギーを取り入れて、右で人に調和させたものにして、
更に持ち手の五臓のエネルギーを付加させて、注ぎ込むという方法です。
右から取り入れてはいけません。
常に左から取り入れて、右から出します。
三鈷杵は、主に結界を張るために使います。
それは、人と人との結界であったり、邪との結界であったり、魔との結界であったりします。
三鈷は板のように働き、そこに気の結界を張り巡らせるように作用します。
独鈷杵と同じく左から、陰陽調和の気を取り入れて、 右の三鈷の先から調和した気の結界を張ります。
三鈷杵の先が、三つに分かれているのは、中央に守るべき人がいて、両端に結界を張るという使い方をします。
五鈷杵の使い方は、左から有形有償の気を取り入れて、右から無形の気を出します。
右から無形の気を取り入れて、左から有形有償の物に、働きかける気を出します。
無形と有形の境目、境界がこれに集合しているということです。
真ん中を持ち、右左と向きを変えるならば、有形と無象の世界の交合成を働かせて、調和することになります。
無形と有形の境界線が取り払われて、それらの世界が、まさに境界を越えた働きの出来る力となります。
五鈷杵を駆使できる者は、歴史上殆どいなかったというのは、こうしたとんでもない力を発揮する為の法具であったからです。
この力を使うことを神から許された者が、そうそう居るわけもないのです。
元極功法は、宗派に限らず全ての神を祀り、諸子百家の長を取り短を補い構成されています。
修練段階によって、この金剛杵と全く同じ功力を、何も使わず発揮することも可能です。
その功力を信じ、只ひたすら修練を積み重ね、人の為に働く。「働く」とは、傍(はた)を楽(らく)にすることです。
この真言密教に伝わる秘法「金剛杵」の力をも、いとも簡単に何も使わず発揮できる「日之本元極功法」。
自分でも体験してみたいと、お思いになりませんか?(完)
写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。
photo by Sigma DP1
観自在寺の写真が、こちらで見られます。
空海の五鈷杵(ごこしょ)
観自在寺を訪れたことで、書き始めた金剛杵(こんごうしょ)の使い方の続き、四回目になります。
五鈷杵の先から出ているエネルギーは、中央部から螺旋状に、朝顔型の螺旋を描きながら拡がるように出ています。
中央からエネルギーを入れ、先端から出すような意念を使うと、中央から真っ直ぐに一本の螺旋状のエネルギーに変化するのです。
エネルギーを真ん中から、取り入れるようにと意念すると、
底なしの渦に飲み込まれていくように五鈷杵の両端より周囲のエネルギーが吸引されて、回転しながら蒐集(しゅうしゅう)されていきます。
独鈷杵(とっこしょ)の時とは違い、五鈷杵に向かって左は右回り回転、向かって右は左回り回転でエネルギーが入っていきます。
また、人に作用させるときは、五鈷杵では、持つ者にとって右回りで入っていき、左から出て作用します。これも、独鈷杵とは逆になります。
エネルギーレベルとしては、独鈷杵、三鈷杵とは桁違いに大きく、三次元的な空間としてエネルギーの出し入れが可能になります。
そして、これを扱う技量の持ち主は、歴史上殆どいなかったと言えるでしょう。(つづく)
写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。
photo by Sigma DP1
観自在寺の写真が、こちらで見られます。