元極功法の教えを伝えるために、元極秘籙(ひろく)なるものがある。
その中で、張家三代目が、張志祥先生に一番強く教え諭したとされるものが、次の二項です。
修行を積み、その創新と突破に努めること。
一宗を師承し、百家を溶合す。
日之本元極によって開発される数々の潜在能力、功法の原理など
元極功法の教えを伝えるために、元極秘籙(ひろく)なるものがある。
その中で、張家三代目が、張志祥先生に一番強く教え諭したとされるものが、次の二項です。
修行を積み、その創新と突破に努めること。
一宗を師承し、百家を溶合す。
二月の後半、15日間にわたって、元極功法と点穴施術の達人でいらっしゃる「きく てい」先生と、
通訳を務めていただいた「おう しゅんかい」社長のお二人に来日いただきました。
その間、元極理論の講座と錬功会、点穴施術を、毎日朝から晩まで目一杯の時間割を組んで対応しましたが、
連日大盛況で、定員を上回るご希望があり、多くの修練者の皆様にお断りするような事態になってしまいました。
深くお詫び申し上げます。
我々の読みの甘さを痛感いたしております。
また、きく先生には、折角の来日にも関わらず、毎日大忙しの目に遭わせることとなってしまいました。
ビザの関係による日程の短さではありますが、次回への反省と致します。
さて、そのきく先生からのお礼状を翻訳してお知らせいたします。
尊敬する増田先生及び各位
大変感謝しております。今回の活動のために、事前に準備していただき、非常にご努力いただきました。
お疲れ様でした。
高山には、伝統的な文化があり、物や人、そして気の場も非常によいと感じました。
私は、この場所で天と地の優しさ、また貴方がたの誠心誠意の心遣いを堪能しました。
15日間、あっという間に終わりましたが、私の中に情と名残惜しい気持ちがいっぱいです。
時間がありましたら、大連においで下さい。海鮮料理でおもてなししたいと思います。
そして、お互い情報を交換して、知り合いが誰か日本に行くとき、海音製品のサンプルを渡して、
持って行って貰うようにします。
私は、自分の功徳の浅さ、そして自分のことすらしっかり出来ないため、
皆さんの期待と御要望に添えませんでしたが、どうかご理解下さい。
再度感謝申し上げます。
太陽光について、現代の科学では、光としか捕らえていません。
そこに、大きな誤解があります。太陽のエネルギーは爆発的なエネルギーです。それは、光、明るさ、それだけではないのです。
元極修練者は、そのことをよくよく考え、視野に入れて物事を考えてください。
そして、それは月も同じです。
月が雲に隠れたからといって、月のエネルギーは、必ず人に届いています。肉眼で見える月の大きさが小さいからといって、そのエネルギーが少ないわけではありません。
太陽と月のエネルギーというのは、拮抗するほどの大きなエネルギーが送られているのです。月はややもすると、天体として小さいからといって、光も弱くみられ、エネルギーが月から送られているとは思われていません。
けれども、その存在たるや、燦々と輝く暖かい太陽と同程度に、拮抗する存在として、月はエネルギーを送り続けています。そのことも過去の元極修練者方より他に、知る人はいませんから、世の中に、そういう見方を元極功法と共に拡げていってください。
日と月のエネルギーを取り入れる功法が、今度の「階ふた」の大きな、そして偉大な功法となります。
これは、人の生命を延長させるために、きわめて有効な功法となるのです。
既に殆どの元極入門者は、天目が開いています。
これに加え、太陽や月より莫大なエネルギーを人体に取り入れることが出来るようになれば、
先々の食糧危機や、種々のパンデミックに備え、それらを乗り越える肉体を手に入れることになるのです。
下敷きやサングラスで視ると危険だ。というのは、モノを通過してエネルギーが届いているという証拠です。
何を受け取るか。
物質や現象を見たいがだけのことですから、日食グラスを使っても、もちろん構わないのです。
「太陽の無形の恩恵」=無形のエネルギーの力がどれほど強力であるのか、ということが、このことを持ってしても分かると思います。
光のエネルギー、そのものが眼にとって悪い場合があります。
たとえば、白内障、緑内障などのように、光のエネルギーをあまり当てないで、安静にした方が、眼圧が上がらないとか、まぶしくて視るのが嫌だとか、いう場合には、光を見ない方が良い場合もあります。
けれども、太陽の光線の中でいたずらをしているのは、太陽の光ではなく、太陽の無形のエネルギーそのものであることが多いのです。
エネルギーを天目に集めることが出来るようになれば、人の人体に、いたずらをすることが少なくなります。完全に、100%無くなるということではありませんが、きわめて少なくなりますから、問題は減るでしょう。
光の部分と、エネルギーの部分を分離して、エネルギーだけをもっと身体の中、奥深くに取り入れてしまって、光だけが眼球を通過するようになれば、障害は少なくなります。
光そのもの自体が、網膜に影響を及ぼす「黄斑変性症」だとか、そういう病には、サングラスなどで遮断する必要があります。
太陽の光の中には、太陽の無形のエネルギーと、人が科学の力で測定できる光の成分とがあります。
現代の科学では、光としか捕らえていません。
そこに、大きな誤解があります。太陽のエネルギーは爆発的なエネルギーです。それは、光、明るさ、それだけではないのです。
(つづく)
天目の存在、天目の効能などは全く科学的には解明もされていませんし、しようともしていません。
それが過去の人々の中には判っていた人も多くおり、仏像などの額に第三の目が描かれているのをご覧になった方も多かろうと思います。
元極功法では、歴史的に「貫頂・開天目」という手法を伝達してきており、その能力を渡されている者には、簡単に他の人の天目を、何人でも開けることができます。
天目さえ開いておれば、網膜が焼き切られるほどの大きな太陽エネルギーが、人体的には眼球や眼底にまで(物質的には)届かないので、太陽を直視しても大丈夫だということです。
太陽のエネルギーと光とを同時に眼球が受け取ることで眼の障害が発生します。
ですから、別々に天目がエネルギーを受け取り、物質的な光を見るのは眼であるということであれば、それほど問題は無いことになります。
それでは、安全だといわれる日食グラスで、太陽を視たときには、エネルギーが人体に全然入らないということになるのでしょうか?
その通り!!
眼にも悪くはありませんし、身体にも影響は全くありません。
つまり、太陽から届く莫大なエネルギーは、人には届かず、光のシルエットだけが、影絵のように見えるだけです。
もともと日食を見ようという人々には、エネルギーを受け取ろうという意識はありませんから、日食グラスを使って、安全に観測すればよいのです。
(つづく)
日食網膜症 天目と太陽
「階ふた」日之本元極功法や、二部中華元極功法では、太陽を日に何十分から何時間かの間、
見続ける功法があります。そんなことをしても、何故、失明しないのでしょう。
通常の人では、日食の時に数分間太陽を、道具を使って見るだけでも、日食網膜症に何千人もなってしまうのです。
酷い場合には、網膜が焼けてしまいます。
元極修練者が太陽を見続けても大丈夫なのは、「天目」が開いているからです。
天目が開いていると、どうして、日食網膜症を起こさないのか?
なぜ、肉眼で太陽を見れるのか。なぜ、障害が起きないのか
肉眼で見てはいけないというのは、物質として光を見ようとして、その光が目に入り、同時に太陽のエネルギーも同じ経路を辿(たど)るからです。
焼けてしまうほどの強力なエネルギーを太陽が持っているということです。
天目が開くということは、無形の太陽のエネルギーそのものは、天目で受け取り、肉眼では、物質的な光だけが入ります。
光だけが入ったところで、眼が焼き付くほどのエネルギーは無いわけです。
天目の開いた元極修練者は、天目にエネルギーが集められ、身体の中に供給されるというようになります。肉眼で太陽を見るときには、光だけを眼がみつめ、天目にエネルギーが入りますから、光を見つめ続けることが出来るわけです。
現代科学においては、光と無形のエネルギーを分離する技術力と、その概念すら有していないのです。
(つづく)
もうすぐ沖縄で皆既日食を見ることができると云うことで、一部TVなどで盛んに取り上げられています。
その中で必ず出てくる注意事項が下記のようなものです。
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(世界天文年2009日本委員会のH/Pより)
危険回避のために
太陽を肉眼で直接見つめることは、たとえわずかな時間(1秒足らず)でも目に重大なダメージを及ぼす危険性があることを知っておいてください。誤った方法での観察は、網膜障害(*)や視力を失う危険性があることを十分に知っておく必要があります。
*日食観察にともなう網膜障害は「日食網膜症」と呼ばれ、日食が起こるたびにその症例が世界中で報告されています
“まぶしくない”=“安全”は間違いです
たとえ、サングラスや黒い下敷きなどで太陽の光が暗く見えても、それは可視光線(人間の目が感じる光)を弱めているだけで、目に悪影響を及ぼす赤外線(熱線とも呼びます)はさえぎられていない場合がほとんどです。いくら可視光線を弱めて“まぶしくない”状態で観察をしても、人間の目が明るさを感じない赤外線が、知らず知らずのうちに目に大きな障害をもたらす場合があることを知っておきましょう。
人間の目が感じない紫外線についても同様で、可視光線を弱めているだけで紫外線が目に届いている可能性もあります。
安全に太陽(日食)を観察するためには、その安全性が確認された太陽(日食)観察専用の器具(日食グラス等)を使用することをおすすめします。
長時間の観察は危険です
太陽(日食)観察専用の器具(日食グラスなど)を使用しても、長時間続けて太陽を見続けることは避けてください。
専用の日食グラス等は、可視光線はもちろん、紫外線や赤外線といった有害な光線も弱めてはいますが、それらを100%さえぎることはできません。観察は適度に目を休めながら行いましょう。続けて見るのは、長くても2~3分間を限度としてください。
一般的にやってはいけないこと(危険を伴う観察方法)
太陽を直接見てはいけません
一般のサングラスで直接太陽を見るのはやめましょう。
サングラスで太陽を見てはいけません
危険を伴う減光方法
たとえまぶしくなくても、赤外線によって目に重大な障害をおよぼす可能性があります。
また、安全性に問題がある場合もあります。
×黒い下敷き、色のついた下敷き
×アクリル板、プラスチック板
×CD、DVD
×スモークガラス
×黒いゴミ袋、お菓子の袋など
×写真撮影用の減光フィルター(NDフィルターなど)
×ろうそく等で煤(すす)を付けたガラス板
×現像済みフィルムの黒い部分(切れ端)
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「階ふた」日之本元極功法や、二部中華元極功法では、太陽を一日に何十分から何時間かの間、
毎日見続ける功法があります。そんなことをしても、何故、失明しないのでしょう。
(つづく)
疑い深い私は、それから何冊もの気功の類の書籍を買い求め、読破したのです。
すると、大かれ少なかれ同じようなことが書かれていました。
「これは一体どうしたことだろう。このような夢物語のようなことをこれだけ多くの人々が、
本にまでして人に伝えようとしている。ひょっとして、
私の今まで全く知らない世界が存在するのではあるまいか?」
と、疑問を持ち、
「これは、自ら調べるだけの価値があるのではないか。」
と思ったのです。
「私がこの気功とやらをやってみて、超能力がもし付いたとすれば、これは大きな収穫であるし、
反対に何も起こらなかったとすれば、今まで私の考えてきた通り、気だの形のないものは、
やはり嘘八百であることを証明できる。どちらに転んでも、収穫があるのではないか。」
と、今考えれば全く不純な動機でこの世界に足を踏み入れたのでした。
(つづく)