[以下の掲載内容は、張志祥先生の了解を取って掲載をするものです。]
張先生のお話や著作の中には、お母さんのことは度々出てきても、
お父さんのことは一切出てくることがなかったので、なぜだろうと常々思っていました。
実は、誠に奇妙に思われるかもしれませんが、張家では三世代にわたり四代の掌門人が存在するのです。
志祥先生の父方の祖父が、普善禅師より衣鉢を賜り、
その子=志祥先生の父に渡し、その父が妻である志祥先生の母に伝えたのです。
そして母より志祥先生に元極道は渡され、張家四代に伝えられたというわけです。
これは日本の十四代天皇(と言われている。実際は十六代)仲哀天皇、
その仲哀天皇がお亡くなりになった後、
その座を受け継いだ神功皇后(現在では天皇に数えられていませんが、実際はその座に着かれたそうです。)、
そして神功皇后の子(仲哀天皇の子ではありません。)である
十五代天皇(現在ではそう数えられている。実際は十八代になります。)応神天皇のお三方が、
二世代でありながら三代の天皇の座に着いたことと同じようなものです。
私が不思議に思ったきっかけは、張先生からのお話を書物にしていた二冊
(元極学混沌初開法:李大川編訳、元極功入門:広岡純著)を
読んだからです。二冊から、その大筋を拾ってみましょう。
ある禅師が亡くなる前に張志祥に「時が来たら必ず四川のある隠遁の高師を尋ねなさい。」と言い残した。
そこで張志祥は四川省の深山へ陰居している老師を訪ねていくことにしました。
四川は、張の居る鄂(がく)州からは千里の道のりです。
張志祥は母親が最後のアクセサリーを売って得た200元のお金を貰って、
長江を遡る四川省への帆船に乗りました。
船が重慶の埠頭に着くと、彼は船を離れて目標の大山へ向かいました。
隠者の師父の住所が判らないので、彼は四方八方探して歩きました。
ある日やっと一つの洞窟も門が開いて、おごそかな態度の隠遁の師が出て、彼を呼びました。
張志祥は、洞窟で老師に10ヶ月教わって、故郷の故郷の張師村に戻りました。
洞での一日の修練は、世上の三千日に匹敵すると言われます。
(つづく)