もとつきわみ珠―2
11月初旬から、様々なデザインのストラップや、ブレスレットなどがお目見えする予定の「もとつきわみ珠」は、無形の邪気などに限って、自浄作用をもちます。通常であれば、溜まっていく無形の邪気などは、普通のパワーストーンのように頻繁に祓う必要がないということです。
当然のこととして、珠を身に着ける事によって付着する、汗などの有形の汚れについてはきれいに除去する必要があります。
通常の身に着ける通常の身に着けるパワーストーンのほとんどは、エネルギーをその中に溜めることが出来るだけです。よって、最初に大きなエネルギーをもっていたとしても、暫く身に着けていると、良いエネルギーを放出しきってしまい、邪気を溜めた石へと変貌してしまうのです。
そうなってしまうと、着けているだけで体調が悪くなって行ってしまう、パワーがストーンと落っこちる邪気溜め石と化してしまっているのです。
多くのというか、殆ど総て愛用者(販売側も)これらのことに気付いていません。
効果的にこうした石の商品を使う為には、使用によって溜まる無形の邪気を頻繁に祓っていく必要があります。
先回お約束した、通常のパワーストーンの邪気払いの方法をお知らせします。
海水から作られ、精製してない塩の上に石を載せ、天日に暫くあてる。ただこれだけです。岩塩や、精製塩では効果がありません(日之本元極でパワーを入れてある「海のまなみ」なら最良)。週に一回はしたいモノです。
「もとつきわみ珠」では、この手間がまったくいらないのです。
なおかつ、膨大な三元エネルギーが持ち主の必要としている場所に選択的に供給されるのです。
沖縄 斎場御嶽(せーふぁうたき)にて―5
斎場御嶽の神は、沖縄に呼んだ意味を語ります。
ここは、一部の高徳の者たち、神を祀る大切な者達が葬られたところです。この台風でもたらされた風をもって、祀られている全ての霊、意志、末性を祓いのけましょう。このことをはじめとして、沖縄全土の邪を祓い清めます。
久高島にも、神の存在はありますが、斎場があるのは、この場所です。
この場所に斎場があります。
久高島には、又別の神がいます。別の神とは、斎場から島流しにされた神のことです。
島流しにされて、鬼ヶ島のような島が、久髙島です。
斎場で祀ることが出来ない神々が、久髙島に流されています。久髙島は、「陰の神」が集まるところです。
久髙島には、また行く機会がきます。久髙島に行くときになると、神々の処遇が決められるときが来ます。
人がそこに訪れている間に、人々の気持ちが変わっていくのです。今まで、人を悪いことに誘う仕事をしてきた神達に、人を救いあげる仕事を新たに与えようと考えています。
え~、また沖縄まで来なくちゃいけないのかな。
沖縄 斎場御嶽(せーふぁうたき)にて―4
更に斎場御嶽(せーふぁうたき)の神は続けます。
ひろく、他の次元を統括している神です。
寝ている。という意味は、働いていないということではありません。我々は、広く多くの星座を統括しているので、ここでは積極的に働いていなかったという訳です。
寝ていると表現したのは、ここに依拠しているだけで、ここでは、あまり働いていない。力を発揮していないということです。
我々の力というのは、神々にとっては、底辺に当たる力ですから、寝ていようと、表面上であまり働いているようではなくても、違う次元でその力が発揮されていて間接的に影響を与えているのです。ここに、起きて働くというと分かりやすいので、このように伝えてあります。
日之本元極に、幸福の力が与えられたことは、よく分かっています。われわれは、8次元から13次元に立場が上昇していますけれども、宇宙の次元を越えた力を使って人を癒す「力」を元極に伝えました。
良きも悪しきにも、この場所が残されて、手つかずの状態で残されたことに感謝をしています。ここは、斎場です。斎場として使われてきました。斎場としての役割を長く担って来た場所です。ここの場所をこの風雨(台風の雨風)で、祓い清めましょう。
何故斎場に我々が眠っていたのか、それは人に、斎場のような場所をむやみに荒らさないという考えがあるからです。
沖縄 斎場御嶽(せーふぁうたき)にて―3
斎場御嶽の神々は、ずっとそこに依拠して眠っていたのだそうです。
ようこそ、この斎場御嶽に来てくれました。
あなたを心から待っていました。
この斎場御嶽にいる神である私は、何十万年もの前にこの地球に訪れて、この地球の基礎を創るような仕事をしてきました。その当時のこの沖縄は、それほど暖かい地方ではなく寒い天候の土地でした。当時、地球そのものが寒冷の時を迎えていました。徐々に気温が変化して、暖かい土地となりました。
当時は寒い世の中でしたが、地軸が変化して、こうして暖かい土地となり、生物がおいおいと茂り、増え、美しい自然を育めたこと、大変嬉しく思っています。
さて、われわれは、この地に奥深く眠っていました。
本当に、あなたが、来てくれたことによって、われわれは、深い眠りから目覚めることができ、ようやく働くことが出来ます。
眷属達も、我々が、目覚めたことを喜びにしています。
この地球の最後の時を迎えるために、我々が働くことになります。
我々の生活している次元というのは、現在13次元になります。ここで眠っている間に、次元が上昇して行きました。われわれが初めてこの地上に来たときには、8次元から来たのです。
写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。photo by Sigma DP1
東尋坊に来ました―2
神が言う。
東尋坊を祓いなさい。
そんなのばっかり、ヤダよ。
そうは言っても、神様の命令じゃ、ほっとく訳にも烏賊(いか)のげそ。
ここには、殺伐とした感情、殺気にみなぎる情念があります。そういう、情念や想念をあなたが断ち切ってください。ここには、生きながらにして生命を絶ちきられた者の情念や想念が渦巻いています。それは、沖縄で祓った無念な気持ちとは性質を少し異にしています。
生きることに、望みを失っている想念が、ここで、誘われて命を落としていった同調する情念があります。あなたが、この情念の連鎖を祓いなさい。
それは、ここだけではなく、世界に通じる祓い清めとなります。
どうぞ、いまから、この海に面したこの地を祓ってください。
飛んでもはっぷん、車でにふん。
俺も男だ、やるしかねぇ~か!!
拈華微笑(ねんげみしょう)―追陳(ついちん)
前回「この元極独自の元音の生発、共鳴、伝達の功能を身に着けることが、「拈華微笑」の伝達方法の基本なのである。」と、最後に申し上げた。
このこと(元音の生発、共鳴、伝達の功能)が完全に出来るようになるには、元音の修錬「階み」を終了することである(中華元極の旧功法では、3部功法・人天交会法)。
人天交会法は、十段階の功法の下から三段階目。日之本元極功法「階み」は、十二段階の下から四段階目である。
「な~んだ、下の方じゃないか。」と、馬鹿にする事なかれ!
中華元極功法公開12年間、そしてそれ以後も含めて、人天交会法を完全にマスターできたのは、2800万人の入門者の中で、僅か5人という難関なのである。
人天交会法は、1999年2月に公開されたのであるが、私の修錬としては1996年より既にその段階の修錬は始まっていた。
元極功法を修錬し始めて3年余あまり経った頃、第2部「鴻蒙済判法」4次元・中黄庭の修錬をしていた。
ある日、中黄庭を守って静功をしていたとき、突如、中黄庭にあった三元エネルギーがものすごい勢いで膻宮へと勝手に移動したのである。
その膻宮の段・下から三段目の修錬というのは、まさしく「人天交会法」の修錬なのである。まだ公開されていなかった「人天交会法」の功法の道理を、それまでに何回もお渡しいただいていたように、張先生は私に渡しておいて下さったのである。
拈華微笑(ねんげみしょう)―4
私は張志祥先生より、何度にも渡っていろいろな能力をお渡しいただいた。
題に掲げた故事は、故事だけではなく元極功法に脈々と流れる神秘的な能力・情報の伝達方法である。
私がこのことを最初に実感したのは、元極を修錬し始めて4,5年経った頃、中国・蓮花山に行ったときのことであった。
その時講座に集った日本人や中国の客人達と共に、張先生と昼食を取る機会が与えられた。
楕円形の大きなテーブルに十五・六人が着いたであろうか。
テーブルの真ん中には、大きな花が飾ってあり、心の行き届いたもてなしが感じられた。
私は幸運にも、張先生の直ぐ右横の席に案内され、着座することが出来た。
食事は、いつもの事ながら、修練者や客人から張先生への質問で終始される。
食事が佳境に入った頃、あまりというか殆ど量を召し上がらない張先生の右手が箸を置き、
人差し指の先で小さくテーブルの上に文字のようなものを書いたのを見逃さなかったのは、
場の利を得た私だけであったであろう。
他の者は、中央に綺麗に飾られた花器に阻まれて気がつかなかったのである。
「あれ、食事中に何をお書きになっているのだろう?」と訝(いぶか)った私の脳裏に次に湧いた意識は、
「あっ、今何か戴いた。」というものであった。
その時は、あまりに突然のことで、何を戴いたか見当も付かない状態で、
その後の食事は、呆然と過ごしていて、何をどのように食べていたのかも良く覚えていない。
数日後、その時戴いた力は、人に能力を渡す力であることがハッキリと判った。
(つづく)
頭の良くなる食物の栄養について(2)
<「天のまなみ」と「海のまなみ」で脳を活性化>
この八丁味噌の件から言えるのは、からだによい食物は、決してこの一点のモノだけではなく、長い時間を経過した伝統的な食物や調味料には、これらの作用が経験的に認識されていて、それを継続して使用したことによって、日本の文化としての調味料は、からだにとっても脳の活性にとっても有効であったと言えるのです。
しかし一点のみに捕らわれていてはいけません。身体にとって食べ物の中に、身体を活性化して元気にしていく要素は、たくさん含まれています。それを一点に絞って「効果がある」とするのは、たいへんな誤りです。
日本の風土に根ざし、自然で伝統的に生まれたこの土地でできた食物、そしてこの土地の季節の食べ物には、伝統に根ざした結論があります。
風土から生まれた食べ物は、健康のためにも脳の活性化のためにも有効であり、自然に反して有害な添加物や季節感のない食べ物は、からだに悪いと断言出来ましょう。
良いモノの一点のみを見つめて、一つだけをすくい上げて、それで健康になろうというような考え方が根底にはあります。現代では、その発想で医薬品が開発されています。
飛びつくようなビックな話題を作り上げるために、これらのニュースは取り上げられています。間違いではありませんが、気をつけたいところです。自然のモノが、長い期間かけて、発酵醸造されるその間に、物質の波動が細かくなります。そしてそうした波動の細かいものが吸収され易いことは、全てではありませんが、的確だと言えます。
日之本元極で、水や塩に三元エネルギーを添加した「天のまなみ」「海のまなみ」には、それらを入れて作った料理や飲料に、上記のような波動の細かさと大いなる三元エネルギーを付加します。この「天のまなみ」「海のまなみ」を毎日の生活の中で、使用常用することで健康のみでなく、脳の活性化にも大きな変化をもたらすと云うことです。