こんにちは。日之本元極です。
今回ご紹介するのは、のどかな山村にたたずむ神社です。
高山盆地特有の霧深い朝でしたが、この神社へお参りする頃には晴れ上がり、この時期にしては珍しく暖かくなりました。この日は西日本各地で濃霧が発生し、飛行機や船舶などの交通機関にも影響が出たようですね。
上丹田や百会にエネルギーを感じながら、お参りしてきました。
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日之本元極によって開発される数々の潜在能力、功法の原理など
ひだの神社 #008
ひだの神社を順番にご紹介しています。(この項は、飛騨神職会発行「飛騨の神社」を参考にしています。)
広瀬神社(高山市国府町上広瀬)
銀幣社
祭神 天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)
説云 斐陀国造大八椅命(ひだくにのみやつこおおやはしのみこと)之遠祖
天照国彦火明命(あまてらくくにひこほあかりのみこと)後合祭
由緒 創立年代は不詳。往古「広瀬神」又は、「広瀬神社」と称したが、文禄(西暦1592-1595)慶長のころから「広瀬神明」と改り、元禄五年七月、金森移封後は一円幕府の所領となった。同七年十月検地には二反一畝歩の除地を附せれた。以後は、単に「神明宮」と言った。「広瀬神社」の旧称のあったことは、明治三年庚午九月「斐太後風土記」稿本に「広瀬町村神明宮、元称広瀬神」と記せることでも明瞭であるが、明治三十一年十月二十九日願済復古して「広瀬神社」と改めた。
往古の社殿はその興廃は詳らかでないが、応永十八年九月、飛騨国司姉小路宰相入道尹綱、足利将軍に攻め滅されたとき、社殿・僧院共に兵火にかかって焼亡したことは、「菩提院縁起」によって明らかである。後領主広瀬氏により再興されたが、その年月は不詳である。永正十七年八月、広瀬城主左近大夫将監利治が、再建した棟札がある。以後興廃やや明瞭である。
神社は乗鞍よりの峰続きにある。付近の山を「歩み山」と言い、山が段々延びて来るので、大塚(亀塚)を築くとピタリと止まったと言う。それで「止め塚」とも言った。止め塚は明治四年国府小学校の敷地の一部となり、昭和初期まで有ったが、校庭を拡張したので、現在は跡形もない。
この大塚には「椀貸し伝説」があった。
例祭 5月4日
氏子 410戸
境内 1,032坪
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ひだの神社 #007
ひだの神社を順番にご紹介しています。(この項は、飛騨神職会発行「飛騨の神社」を参考にしています。)
渡瀬(わたりせ)神社(高山市国府町上広瀬)
銀幣社
祭神 和加宇加乃売(わかうがのめの)神
相殿 大八椅(おおやはしの)命
由緒 創立年代は不詳。飛騨国延喜式外十社の内で、藤原時平等の撰した「三代実録』に「清和天皇貞観九年十月五日庚午、授飛騨国正六位上度瀬神社 従五位下」とある。高堂城主広瀬氏・飛騨国司姉小路宰相入道等の信仰が、はなはだ厚かったと言われている。
通称「こうの宮」又は「国府宮」などとも言われ、近郷近在の人達の崇敬厚い神社である。
戸田釆女正の元禄検地に、加茂大明神宮地として一反三畝二十四歩の除地を附された。神社には、境内中央に横穴式の古墳が一基あるが、未発堀である。また、正面二百メートルに前方後円式古墳一基があり、県指定史跡となり、また、神社正面の南寄り五十メートルにも横穴式古墳が一基あって、町指定史跡となっている。
例祭 5月4日
氏子 410戸
境内 708坪
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ひだの神社 #006
ひだの神社を順番にご紹介しています。(この項は、飛騨神職会発行「飛騨の神社」を参考にしています。)
諏訪神社(高山市国府町上広瀬)
白幣社
祭神 建御名方(たけみなかたの)神
由緒 創立年代は不詳である。以前より産土神として崇敬されてきた。
一説には式外度瀬神社とも称された。戸田釆女正による元禄検地の際、除地二反一畝十歩を付せられた。
享保九年(西暦1724)三月、ご神体を石造祠に祀る。
本社の鳥居は玉石据笠木座付きで、神仏混淆時代に多く建てられた両部鳥居であり、旧街道を物語る貴重な民族資料として、優れた形態を保っている。
例祭 9月15日
氏子 24戸
境内 892坪
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ひだの神社 #005
ひだの神社を順番にご紹介しています。(この項は、飛騨神職会発行「飛騨の神社」を参考にしています。)
加茂神社(高山市国府町上広瀬)
白幣社
祭神 主神 別雷(わきいかずちの)神
相殿 大山咋(おおやまくい)神
経津主(ふつぬし)神 斎主(いわいぬし)神 姫(ひめ)神
武甕槌(たけみかずち)神
由緒 創立年代は不詳である。『国府村史』に「従前当村産土神と崇敬罷在候」とある。『元禄除地帳』に、加茂明神宮一反六畝歩とある。
弘化四年(西暦1847)二月二十九日、国学者田中大秀が斎主となり、神名を三枚の札に銘記している。
境内には、小丸山古墳があり、付近一帯からは石器・縄文土器等が出土している。
境内にあるイチョウは、昭和三十三年十二月十四日、県指定天然記念物となった。樹高三五メートル、
直径六・二メートル、樹齢千年といわれている。また、境内にあるカヤノキは、昭和四十六年十一月二十七日町指定の天然記念物となった。樹高三〇メートル、直径二・六メートル、樹齢は八百年といわれ、共に加茂神社の歴史の古さを物語っている。
例祭 9月15日
氏子 54戸
境内 780坪
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ひだの神社 #004
ひだの神社を順番にご紹介しています。(この項は、飛騨神職会発行「飛騨の神社」を参考にしています。)
険緒神社(高山市国府町三川)
銀幣社
祭神 日本武(やまとたけるの)尊
白山比咩(しらやまひめ)大神
県(あがたの)大神
由緒 成務天皇の御代、飛騨国造大八椅命が、尾張国小止興命(建稲穂命)に、熱田大神の神剣の組緒を乞い得て霊代とし、飛騨国鎮護神として祀った。(「飛太後風土記』・『国史所載再考録』)これが本社の創建である。
『三代実録』には、「清和天皇貞観十七年十二月五日、正六位上、光孝天皇元慶八年四月二十七日、従五位下、同従五位上」と記載されている。
代々の国造が、飛騨の守護神として祭祀を行っていた社で、降って源平の戦以降乱世の世となり、社殿は荒廃して御霊代も失い、剣緒の所以も忘れられていたが、天正年中(西暦1573-1591)金森時代に「剣神社」、元禄検地にも「剣神社」として、一反三畝歩の除地を賜わり、享保年間には「剣権現」とあり(『飛州志』)、いずれも里人の産土神として祭祀が行われた。
例祭 9月15日
氏子 65戸
境内 1,350坪
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