漆部(ぬりべ)神社 (愛知県あま市) 3
神が続けてお話下さいました。
「ひのもと」が、本当に開花する、そのひとつの始まりの土地に来たのです。
「太極図」は、発生の地の目印です。
これから、いちから始まります。
いちは、ゼロではありません。
いちは、すでにできたもののうえに成り立ちます。
私は、この神社の紋の太極図が不思議で、たまたま居合わせた宮司さんに尋ねたところ、
「まがたまを形取った物です。」と、言われました。
そこで、「太極図の紋の形が、まがたまから出来たというのは、本当ですか?」
と、神に聞いてみました。
「勾玉」そのものは、陰陽から出来たものですから、
宮司の答えも、本当といえば、本当なのです。
この神社に導かれた理由が、分かりましたか?
にしから風が、ふきます。
漆部(ぬりべ)神社 (愛知県あま市) 2
甚目寺が有名なので、その名を使って、漆部神社に呼ばれたのでした。
大変ビックリしたのは、通常の神社であれば、菊の御紋か、
五三の桐、五七の桐マークが示されているのに、
ここでは「太極図」があちらこちらに示されているのです。
「かぜ」の神からのお話しがありました。
いままでの導きにより、大変ご苦労をかけました。
私は「かぜ」です。 にしからふくかぜが、ここに準備されています。
あなた方が、不思議に思うかもしれませんが、この神社では太極図が飾られています。
この太極図は、中国のものであると一般には思われていますが、
日本で生まれて、神が中国にもたらしたものです。
空海が、神として生まれ肉体を持って、中国に真言宗を広め、
日本にもコレを普及させたことも同じ事です。
ただ一つ違っていることは、彼は肉体を持って顕界に自らの手で拡げたのです。
この太極図は、神の手によって中国に渡されて、中国に広められたのです。
日本は「ひのもと」ですから、「ひのもと」から中国へ行き、
それがまた顕界での発展を経て、今あなた方の元へ戻ってくる経過となります。
また更に、それは肉体を持ったあなた方から、神の手にもどされるという循環になります。
今、貴男は太極図の発生の地に来たのです。
ですから、ここに戻り、また此所から、一からの始まりとなります。
漆部(ぬりべ)神社 (愛知県あま市) 1
愛知県あま市にある甚目寺(じもくじ)に呼ばれました。
私は今まで行ったことがなかったのですが、愛知県では結構名の知れた所です。
甚目寺という地名もありますし、電車の駅も存在します。
甚目寺についてウキペディアから抜粋すると・・・・
甚目寺(じもくじ)は、愛知県あま市にある真言宗智山派の寺院である。
通称「甚目寺観音」で、正式名称より通称で呼ばれることが多い。
沿革
伝承によれば、推古天皇5年(597年)、伊勢国の漁師である
天智天皇が病気になったとき、甚目寺で祈祷したところ、快癒したという。
甚目寺に行ったところ、その隣に神社がありました。