更に
しあわせ 2
昔、こんな歌が流行りましたよね?
「死会わせ」って何だっけ?
という、お問い合わせに答えます。
死んだ先は、大きく分けて三つに分かれます。
三つとも、肉体が失われることは同じです。
しかし、生きて来たうち、肉体を動かしてきた顕在意識がどうなるかで結果は大きく違います。
(顕在意識以外の意識達については、ここでは省略します)
1.顕在意識も消滅
2.同じ顕界に新たなる肉体の意識として生き返ることが出来る。(輪廻転生)
3.上の次元に、上がることが出来る。
つまり4次元以上の意識体として生存(無形無象の世界ですから、形はありません)し続けることに値すると、神からの評価を得ることです。
1.に終わる方が圧倒的に多いのですが、この「死」は恐怖といえます。
2.の場合、今後はそんなにチャンスがありません。
3.ならば、死ぬことは、非常に希ながら幸せと言えるのです。これが「死会わせ」なのです。
しあわせ
高橋秀実さんが、書評の中で次のようなことを書いている。
「しあわせ」というと、もっぱら「幸せ」や「幸福」などの漢字が当てられるが、それは間違っていると私は思う。
国語辞典にもあるように、「しあわせ」は「仕合わせ」。
つまり事の善し悪しにかかわらず、巡り合わせを意味しているのである。
例えば、「しあわせだなぁ」とつぶやくのは、ただ単に生きながらえていること
(「幸」の原意)やもたらされた福を喜んでいるわけではなく、
巡り合わせを享受している。
極端に言うなら、幸か不幸かわからないが、あなたに出会えてよ
かった、と巡り会いに感謝しているのである。
「我が意を得たり」である。
加えて言えば、「仕」の意味は「仕度」という使い方のように、既に用意された出会いであることが多い。
誰が用意したのかは、あなたのご推察の通りである。
そのことに留まらず、「仕合わせ」の「仕」は、文語の「す」であり、
サ行変格活用で「し」となり、自分で「する」ことで、「あう」ことになることも可能なのだ。
つまり、既に用意されているものであるにもかかわらず、自らの努力で出会いは変わっていくものであるのだ。
でも神様によると、本当の「しあわせ」は、「死会わせ」なんだそうだ。
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