旅先で

中国湖南省へ向かう(広州にて乗り継ぎ)

張家界は世界自然遺産になっているにも関わらず、飛行機の便の非常に悪いところです。
今回も、一度広州まで南下して、そこから大きく北上するルートを取らざるを得ませんでした。

張家界には、三国志で有名な「ちょうりょう」の墓があります。
前漢建国に武勲を建てたと言われる張良は、皇帝となった劉邦が部下を次々に粛正するのを見て、
自分も危ないとさとり、南のこの地に逃げてきました。

そしてこの地で仙人になった、と言い伝えられています。
その故事から、ここの地名が張家界と言われるのだそうです。
その 「ちょうりょう」は神になったか?と、聞いてみました。

「ちょうりょう」は神にはなっていません。
戦いをするだけでは、意味がありません。

「ちょうりょう」の部下には平和を求めて、意見し戦いの戦力を練った者が複数います。
その者達は複数、神になっています。

戦いの総指揮者として、「ちょうりょう」の名前があがっていますが、
実は「ちょうりょう」ではなく、その部下達が、平和を求めて作戦を練り、
事細かに配慮をしたという点で、神になっています。

そして、また「関羽」は神になったか という質問に答えます。

三国志のストーリーの中で、武将として、リーダーとして活躍した者達の中で、
神になったのは「関羽」だけです。

彼は、指導者として平和について諭して、
部下を引き上げて戦いをすすめました。

(つづく)

植物

お知らせ


張先生は続けます。

神があたえる運命は過酷でしたが、
それとて今後の元極功法に課せられた役割にくらべたら、
なまぬるいものでしたから、
はやく肉体がなくなる時を念じたのです。


元極功法の進展は、私が肉体を失うことで加速度的に動きがありますから、
そのことをお伝えしておきます。

その後、張先生を導いていらした神よりのお話がありました。

張が、自ら命を絶った、その苦労に比べたら、
今の元極修練者達の苦労など、たいしたことではありません。
あなたも、導きに従っていち早く張家界に来る手筈を整えなさい。
これは重大なる役割です。

(つづく)

食べ物について

若いときは、蕎麦が嫌いだった。
ところが20代半ばの頃、新宿で入った蕎麦屋で初めて美味いと思った。
それまで、まともな蕎麦を食べていなかったことがわかったのだ。

今まで入った高山の蕎麦屋で、まあ合格点を上げられるのは、

夢の蔵
せと
角正

の三カ所だ。

夢の蔵は、ちょっと高め。行く日によって当たり外れがあるのも気になる。

せとは、味は良いが、香りがない。
接客が最低。

角正は精進料理屋で、コースの中で出てくるが、これが美味い。
精進料理の味は数年前より随分落ちた。
しかも、べらぼうに高い。

自分でも蕎麦打ちをする修練者に以前教えていただいた福井の谷川に一度行ってみたい。

http://echizen.info/manpuku/tanigawa2.jpg

皆さんからも、美味いところを教えていただきたい。

お知らせ

張先生からのお話が続きます。

まず西から風が 吹きます。そして、その後、世界に向かって風が吹きます。
それが「こち ふく」風です。
あなたが今、話を受け取っているのは、南部なまりのある
(私が受け取るのは意識を受け取るので、なまり等はわかりません。
ただし、声が聞こえるように受け取れる特異効能者は、
声の抑揚やなまり等も受け取れる者も居ます。)

私の顕在意識であった意識です。


有形の墓と張家界は、私が通った道でもあります。
そこに来てくれたときに、お話をします。
今後の元極功法は、ますます巨大な功力を持つ功法に発展していきます。
ただ、まだその力が発揮されていないだけです。
それらも含めて、張家界で お話をしましょう。

私が元気でおれば、益を求めて集まってくる者達が大勢いました。

そうではなく、私はあまり役立たない、何も出来ない、してやれない。
それを多くの人に示さなければなりませんでした。

すでに、次の者に力は渡しています。
私には力がない。
私の力を渡した者がいることを示さなければなりませんでした。

私は、力を渡したその後は、死を与えられることを急ぎました。

今の中国のこの体勢の中では、この世にいては、何の役にも立ちません。
(現在中国国内で法的に認められている気功の類は、「六字訣」「八段筋」「五禽戲」「易筋経」の四つです。
これらは、気を自ら取り入れるだけの功法で、他人に作用させることが出来る功法は認められていないのです。

肉体が失われて、次世代の手伝いが一刻も早く出来るようにと望みました。

私は、神から この寿命を与えられましたが、自らもその寿命が早く終わるように願いました。
そのために、神の与える偶然ではなく、必然的に生命が閉じられる方法を願ったのです。

(つづく)

中国

お知らせ

張先生は、昨年2011年12月3日に亡くなられたのですが、

1943年12月2日生まれでいらっしゃいましたから、

正に68歳になるのを待つようにしてお亡くなりになりました。

その張先生よりのお呼びの言葉です。



私は すでに 仏となっております。

あなたがたが、張家界に行ったときに

(このお話の後、私は1月の中旬に中国湖南省張家界に行きました。)お目にかかります。

そこにある無形の墓とは、私の湖北省に実際に存在する有形の墓にも繋がります。



私の墓地(かめ注;実在する張先生の墓の場所の敷地を言う)から、

「はか(この『はか』の意味は、日之本元極のさとりの法シリーズを受講するとお判りになります。)」に

多くの者達が通じて、天に昇れるように、あなたがたを迎えたいのです。

その為に、あなたは今後の元極を広める仕事をしていってください。



私は、何もかも仕組みの中で生きてきました。

あなた方も静かに時の仕組みを待ちなさい。

私が歩いてきた道を、続けてあなたが歩きます。

私が開発した功法が、何とも賑やかな功法となって、花咲かせています。



花開いた功法が、こち(東風)吹く力によって、

日本中に花咲かせて、そこから世界中に花咲かせます。



こち ふく 風が吹きます。


(かめ注;「こち」とは、通常東風と書くので、文章としておかしいと思われるでしょうが、

単なる「ひがしかぜ」のみを言うのではないので、わざとこのような表現になっている。)

(つづく)

旅先で

元極功法

二月の後半、15日間にわたって、元極功法と点穴施術の達人でいらっしゃる「きく てい」先生と、
通訳を務めていただいた「おう しゅんかい」社長のお二人に来日いただきました。

その間、元極理論の講座と錬功会、点穴施術を、毎日朝から晩まで目一杯の時間割を組んで対応しましたが、
連日大盛況で、定員を上回るご希望があり、多くの修練者の皆様にお断りするような事態になってしまいました。

深くお詫び申し上げます。
我々の読みの甘さを痛感いたしております。

また、きく先生には、折角の来日にも関わらず、毎日大忙しの目に遭わせることとなってしまいました。

ビザの関係による日程の短さではありますが、次回への反省と致します。

さて、そのきく先生からのお礼状を翻訳してお知らせいたします。
尊敬する増田先生及び各位

大変感謝しております。
今回の活動のために、事前に準備していただき、非常にご努力いただきました。
お疲れ様でした。

高山には、伝統的な文化があり、物や人、そして気の場も非常によいと感じました。
私は、この場所で天と地の優しさ、また貴方がたの誠心誠意の心遣いを堪能しました。

15日間、あっという間に終わりましたが、私の中に情と名残惜しい気持ちがいっぱいです。
時間がありましたら、大連においで下さい。海鮮料理でおもてなししたいと思います。

そして、お互い情報を交換して、知り合いが誰か日本に行くとき、海音製品のサンプルを渡して、
持って行って貰うようにします。

私は、自分の功徳の浅さ、そして自分のことすらしっかり出来ないため、

皆さんの期待と御要望に添えませんでしたが、どうかご理解下さい。

再度感謝申し上げます。

中国

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