病と功法

先日「人格統合調和法」の施術を受けたhirohiroは、
今現在「もとつきわみ意識図」の正常な形状復帰と回転の確保にエネルギーが注がれています。

この時に、エネルギーを減じる状態になると、
つまり修練不足や、極端に場の悪い所に行ったり、
体調の悪い人にエネルギーが流れてしまったりすると、
非常に疲れを感じることになるでしょう。

一番こたえるのは、人間関係がうまくいかない時でしょう。
この状態は、いわゆる体力不足と同じです。
「精神力不足」なのです。

人格の統合は「人格統合調和法」の施術で実現したにしても、
いわゆる経験不足は補うことが出来ません。
それまでの、難関に遭遇する度の人格交代による逃避で、
並の人達にある経験が、圧倒的に不足しています。

もちこたえる力

柔軟にしなる力

しなやかにそよぐ力

目の前の事象を乗り越える時、
今までになかった「力一杯に乗り越える様な方法」を取り続けなければなりません。

多重人格を形成していた今までは、
取り繕って、他の人格にゆだねる方法しかなかったのです。

苦労してみて、乗り越えることです。
体験をたくさんするしかありません。

経験して、乗り越えて、疲れ切って、修練で回復する。
この繰り返しです。

病と功法

彼女はまだ、忘却の狭間にいますが、回復の傾向にあります。

伝えておきますが、心が充実して「もとつきわみ意識図」がうまくバランスを保って、
意識図が回転をしはじめることになったり(特異効能者達にはその状態が見えます)、
更に意識図が円滑なスピードで阻止されることなく動き始めますと、
回転する活動によって三元エネルギーも充足されます。

まず最初に三元エネルギーが充足されて、バランスよい意識図を創ることが第一です。

そして、皇極に気のエネルギーがたくさんあること、
その状態で心が箍(たが)を締めると、意識図がゆっくりと回転し始めます。

そして、回転が保たれるとエネルギーが補給・充足し始めます。

そうして無形の事柄の形が整うと、有形の肉体にも気のエネルギーが充足して整い始めます。

肉体の硬化し始めた者々達は新たなる喜びを得て、
硬化し始めて死にゆく運命の細胞のうち回復可能な細胞達は、徐々に回復していきます。

我々は、経験しています。

石灰化して死の淵にある、ちょうど石になる寸前の者達(そういう状態にある細胞)が、
蘇って生き生きと変化していく様を、私達は知っているのです。

脳のみにあらず、ほかの臓器でも体験しています。

病と功法

ただし、通常のアルツハイマーが進行している者達の多くは高齢なので、回復の時を待てない。
回復の速度よりも老化の速度が上回ってしまう。
等という条件があります。

従って、効果が現れているにもかかわらず、変化が見られないと認識されてしまう現象がおきます。
しかし、その病状の進行を止める、或いは遅くする効果は確実にあるでしょう。

元に戻ってhirohiroの場合で考えてみましょう。
彼女には、新しいことをなかなか身につけることが出来ないなどのアルツハイマー的な症状が出ていますが、
同時に人格の交代による忘却も起きています。

どちらも一度に回復させることは出来ませんが、彼女の場合には、人格の交代をなくするという手だてを打つならば、アルツハイマー的な忘却は軽度になります。

忘却というのは人格の入れ替わりによる忘却の頻度が顕著だったのです。
彼女は、つい先日「人格統合調和法」の施術を受けました。
これによって、人格の入れ替わりが無くなり、その為の忘却やエネルギーの損失が減るため、
修練の実施、貫頂などの受功によって三元供給が進めば、
この後、うって変わって、賢明な脳の働きを手に入れるときがきます。

病と功法

先回に続いて、膵臓の石灰化の方の例もお話しすることにしましょう。

Bさんは、中年の女性でしたが、既に成人して働いている二人の子供がいました。立っていても、座っていても、いつ意識がなくなって倒れるか判らない状態でした。その為、外出することが出来ず、十年以上自宅の中だけの生活を送っていたそうです。
世の中には親切な方が居るもので、そのBさんを毎週車で迎えに行き、練功室まで連れてきてくれたのです。そして、ご自分も一緒に練功して、終われば送っていってくれたのです。
勿論来る度の貫頂・帯功も受けられました。ご本人の練功も、毎日そこそこ続けられたのですが、一年後、なんと一人で電車に乗って来られたのです。
後になって、これは笑い話で語り継がれていますが、
この時Bさんは切符の買い方が判らなくて大変だったのです。
10年の月日のうちに、見たこともない券売機で切符を購入するシステムになっていて、
まるで浦島婆さんの様だったとのことでした。

不具合があった時の膵臓の映像は真っ白で、
お医者さんからも「石灰化しています。」と宣言されていたのにも関わらず、
元極功法を初めて一年後には、正常な映像に戻っていたのでした。

勿論体調も、普通の生活が送れる様な状態にまで回復なさったのです。

つまり、細胞が完全に死滅していなければ、地道な修練と、エネルギーの補給や調整によって、
その細胞の再生は可能だということです。

脳細胞とても、同じことです。

病と功法

先回お話ししたアルコール依存症による脳の萎縮の例を一件詳しく書いてみましょう。

当時、60代後半の男性Aさんですが、強度のアルコール依存症で既に脳萎縮が明らかに映像で判る状態でした。ご家族から相談を受けた当初、話しかけても何の応答もなくほとんど会話が成立しませんでした。元々頭の良い方で、建設現場の監督などの資格を持って働いてみえた方でした。
それから半年くらいの間でしたか、週一の貫頂・帯功と、誠に不熱心な(病気の特徴として意欲の欠如)修練によって、脳の画像でも明らかに改善があり、新しい職場で再び現場監督として活躍されるようになりました。
修練としては、いろいろな動作をすることが始めた頃には無理だったこともあって、ほとんどがウォークマンによって「神鳳遊歩功」のMDを聞いて歩くことのみでした。
但しAさんの場合、ご家族のサポートが完全で、怠けそうになるAさんを、奥様がしっかりと支え、継続出来たことが勝因でした。

病と功法

脳の萎縮は、今までにアルコール依存症による方々が、ほぼ貫頂の繰り返しのみで回復した例があります。

また、膵臓のほんの一部を残して石灰化していた患者さんが、貫頂と自らの修練で完治した例もあります。

つまり、細胞は完全に死んだ状態でなければ、エネルギーの補充と調和で生き返る可能性が残されているのです。

先回の
「脳が萎縮によってアルツハイマーの症状を起こしているのであれば、
物質的に既に変化を起こしているのであるから、
それは可逆的な変化を望めないのではないか?」
という疑問は、元極功法によって充分に治す余地が残されていると言えます。

これについては、多重人格による脳の萎縮も、通常にいわれているアルツハイマーも同じことです。
しかしながら、アルツハイマーという病気は、
エネルギーが枯渇した状態が長く続いたときに起きる病なので、
一旦、発病したと認識されれば、治すことは如何に元極功法といえど、
その効力によって短期間で治すことは、なかなか難しいものです。

しかしながら、不可能ではありません。
みるみる回復とは行きませんが、ある程度病状が回復していくことは、可能です。

それぞれの病状が違っているので、ある程度、回復するとしか、言えません。

ですから、なるべく早い段階に人格交代によるエネルギーの損失を食い止めれば、
脳の萎縮も完治する可能性もあるといえるのです。

病と功法

hirohiroのブログ多重人格の症状で、
人格入れ替わりによって大いなるエネルギーの損失が起こり、
その弊害としてアルツハイマーのような脳の萎縮が起こるとあります。

もしhirohiroのブログに書いてあるように、
脳が萎縮によってアルツハイマーの症状を起こしているのであれば、
物質的に既に変化を起こしているのであるから、それは可逆的な変化を望めないのではないか?
という疑問が出てきます。

つまり、もうその萎縮は治らないのではないかということです。

そして、脳細胞の変化が起きているという問題があるのであれば、
人格の交代によって、忘れるのではないのだから、人格の改善をしても問題は解決しないのではないのか?
ということにも繋がってきます。

この回答を、単刀直入に申し上げれば、回復出来る場合と、そうもいかない場合とがあります。

長い間、エネルギーが枯渇した状態にあると、エネルギー不足によって、
脳はエネルギーを失い脳は、固く萎縮した脳、つまり、アルツハイマーのような脳の形態をとってしまいます。

それが、短期間のことであれば、脳は可逆的に回復変化することは可能です。

萎縮はある程度進んでいても硬化していない状態であれば、回復します。

通りすがり

通りすがり

人の構造について

表題について、ここでは、ただ思いつくままだらだらと書き続けてきてしまいましたが、
いずれ整理して書き直そうと思っています。

何件ものこうした病に苦しんでいる人達と快癒を目指して、
工夫をしてきた方法を確立しつつあります。

心身共鳴神法、貫頂・帯功、ご本人の修練、
そして新たに始めている「人格統合調和法」を組み合わせ、
良い経過をたどっている方がhirohiroを含め、何人もいらっしゃいます。

ご自分でも、自分がそんな状態であることが判らないで悩んでいる方が多くいます。

顎関節症や、不定愁訴など、単なる肉体的症状だけに惑わされないで、
少しでも心当たりがある方は、大事になる前に、ご相談下さい。

(完)