真実

野口悠紀雄氏が、著書の中で、言っています。

「自由な市場」とか「競争社会」とは、「何をやっても自由な社会」ではないからだ。
市場経済は、強いルールの下でしか機能しない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・##1

ここでは、狭い範囲のこととして述べられていますが、人の生き方も同じことなのです。
人は、自分で選択決断し、行動すればいろんなことが出来ます。
出来ることは全て、天地に許されていて自由なのです。

ひたすら食べ続けることも、守銭奴となることも、殺人も、他人のために我が命を投げ出すことも、
みな許されています。

やって実現可能なことはみな許されているのです。

人の出来る事は、全て天から許されていて自由なのです。
しかし、その自由の中で何をするかが問われています。
出来るから、何をしても良いというのは、本当の自由ではありません。

人を殺(あや)めることは可能だとしても、ほとんどの人には倫理的に出来ないことでしょう。
この倫理的には、ということの意味は、人としての倫理なのです。

人の倫理と、宇宙=天の倫理は大きく違うようです。

永遠の存在として、人の意識が残ることを許されるためには、天の倫理に自分の倫理を合わせなければなりません。
宇宙の中で存続するわけですから、宇宙の法則に合わないと存続は認められないのです。
我々の居る3次元物質世界では許されていても、上の次元では許されないことはいっぱいあります。

欲が自由を主張します。

昔の人々も判っていたのでしょう。
「六根清浄」
と言って、欲を絶ちきろうとしてきたのです。

こうした行為について、心なき人々は、

「自由を束縛する」、「拘束することは、悪だ」

と、自らの欲を隠そうとするのです。
正当化しようとします。

でも、それは自らの存続(肉体の存続ではありません。顕在意識の存続です)を、自ら諦めることなんですよ。

形示し

真実

野口悠紀雄氏が、著書の中で、次の様に述べています。

自由な論議とルール遵守の両立は、大変難しい。
 ところで、私は、インターネットに簡単に公共圏が構築出来るとは考えていない。
(別項で、同氏は、「公共圏」について、次の様に説明しています。
:ドイツの哲学者 J・ハーバーマスが提唱した概念。
これは、個人の私的な領域を超えた共通の関心事項について、言論や意見が行き交う社会的な共通空間のことだ。)
なぜなら、

「自由な市場」とか「競争社会」とは、「何をやっても自由な社会」ではないからだ。
市場経済は、強いルールの下でしか機能しない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・##1

同じことが、言論についても言える。
 私は、「ウェブ上の自由な意見の交換」に幻想的な期待を抱いているわけではない。
むしろ逆に、インターネットにルールを確立するのは極めて困難だと考えている。
とりわけ問題なのは、匿名での発言が可能であるため、無責任な批判や誹謗や罵倒が横行しやすいことだ。
だから、インターネットにそもそも公共圏を形成しうるかさえ、定かではない。
例をあげよう。
東日本大震災の直後、私は、「ダイヤモンド・オンライン」の連載で
「電力不足に対処するために電気料金に課税するべきだ」との主張を行った。
そして、それに対する意見を、私のホームページに寄せてほしいと書いた。
多数の意見をいただき、その中には、非常に有益なものがあった。
しかし、心ない反応もあった。
たとえば、「経済学者は、カネ勘定のことしか頭にないのか」との非難もあった。
「業界の事情を知らないので、笑ってしまった」というのもあった。
これは、意見や批判というより、「口汚い罵り」としか言いようのないものだ。
こうした反応に接すると、本当に「こたえる」。
そして、仕事に対する意欲を失う。
強い反論は、特定の業界の既得権を批判した場合に来る。
どの業界を批判した場合にどのような反論が来るかは、はっきりした傾向がある。
口汚い罵りを受けて、数日間仕事が手に付かなくなることさえある。
「艱難汝を玉にす」「人間は鍛えられて強くなる」というが、実際には難しいものだ。
私は、「批判を受けたくない」と言っているのではない。
しかし、論争には一定のルールが必要だ。
ルール違反は出版物にもあるが、完全ではないとはいえ、編集者のチェックがかかる。
それに対して、ウェブでは、最低限のチェックすらないのだ。
「市場経済は、相互信頼がないと成立しない」と述べた。
では、信頼の基礎は何であろうか?
もちろん、人間の本性が善を求めるものであることだが、それだけではない。

他からの信頼や社会的評価を落とせば、大きな損失を被るという状況が必要である。
逆に言えば、「失うべき何物も持たない」人々は、信頼を裏切る可能性がある。
なぜなら、それによって利益を得る反面で、失うものは何もないからである。
相互信頼とは、「失うべき多くのものを持つ人々の集まり」でこそ形成されるのだ。
・・・・・・・・##2

問題は、インターネット空間が、そうした条件を満たすコミュニティなのかどうかである。

この中で、注意していただきたいのは、##1と##2の部分です。
次回から、一つずつお話しします。

地域と文化

タオルといえば、今治タオル。
最近テレビでも

「かXX織るタオル」で有名な会社があります。
(「かめが織るタオル」ではありません)

テレビであまりしばしば見るので、インターネットで買ってみました。
いろいろ種類を混ぜて、「高いなあ!」と思いながら・・・

到着したタオルを見た瞬間
「こりゃ、あかん。」と思いました。

タオルには少しこだわりがあり、まず自然素材であること。
次に吸水性に優れていること。
ふんわりとした肌触り。
そして使い続けても、変わらないこと。

誰でもそう思うんじゃないかなぁ。

見ただけでダメそうなことが判りました。
テレビって、だめですねぇ、他で有名になっていると無条件で取り上げてしまうんだもの。

使ってみて、もっとがっかり、触るのがいやになる感触。

ところが、後日。
高山市内のある喫茶店の販売コーナーで、今治の別会社のタオルを見つけました。
触った感触、最高。

置いてあった4枚全部お買い上げ。
値段は、「かXX織るタオル」より、3~8割安。

使ってみて、上の条件をほぼ満たしています。
また買いに行こっと。

食べ物について

行ってきました。
前にも高山の蕎麦をご紹介しましたが、やっぱりここの蕎麦が、一番。

角正です。

200年前からの建物に、きれいに手入れされたお庭。
値段さえ安ければ、申し分ないのですが・・・。
本業は、精進料理。

味わうには、ちょっと奮発する覚悟がいります(私などの貧乏人にはね)。

量も少ないので、三皿くらい食べたくなります。
野麦峠近辺のそば粉を使っているとのことです。

角正の蕎麦

つるつるっと、すぐ無しになっちゃいます。

襖の取っ手

襖の取っ手

角正の庭

角正の庭の灯籠です。

お知らせ

やったね!!

もう降らないでしょう!!
漸く、スタッドレスから履き替えました。
回頭性がぐっと良くなり、快適です。

「まつり」の形

病と功法

情報をためておく構造はきわめて複雑です。
医学的には、現状で我々は脳の処理能力について、論じているのですが、
これにも無形の力が関わっています。

無形の情報の処理、つまり、ここにも「もとつきわみ意識図」が関わって、
魂や本性などの深い情報が関係しているということを忘れないでください。

情報を記憶して思い出す。
このことがらに、魂や本性などの無形の意識が関わって、
記憶させ感銘させ、思い出させるという意識活動が常に起きているのです。

したがって、「もとつきわみ意識図」がうまく回転しているならば、
実存する脳の働きは、衰えていけども 気丈に生きるということが可能になっていきます。

年齢が若ければ、エネルギーを注入して「もとつきわみ意識図」も修正して、ある程度回復していくことが可能です。

若者のアルツハイマー患者であれば、周りの者や本人も回復度合いが判るでしょうが、
年寄りのアルツハイマーの人ならば、エネルギーを注入しても、「もとつきわみ意識図」を修正しても、
病気の進行が止まることはあっても、著しく回復していくことを感じ取るのは、難しいかも知れません。

しかし、本人と家族の努力によって、進行を止めたり、遅くすることは可能です。