日常


原始的な方法で加工や合成して、一つの成分だけの抽出を行わないのであれば、

健康食品として、おだやかな作用をしますから、大きな問題はありません。

科学的な技術が安易に発達したことによる弊害といえるでしょう。

食品の考え方は、腹が空いているときに、食べるとうまいし、

腹いっぱいなときに食べても旨くない、という原則から考えて下さい。

つまり、欠食している者には、足りない物を補うことは有効ですが、

充足している者に足しても、有り余る補給は有害です。

海音(中国の元極修練者などが中心になって、張先生の指導の下、作られた中国湖北省の健康食品会社)の健康食品についても、

これらのことがあてはまります。

しかし、余分にとっても構わない「螺旋藻(らせんも)」なども、あります。

今、あなた方が、手にしている海音の健康食品については、あまり問題がありません。

きわめて、問題になった石鹸の小麦粉の成分については、有効成分だけを科学的に抽出して、

有効だからと高濃度に使っていたことが、大きな原因のようです。

すべての薬品の基本的な考え方は、この例と同じなのですから、注意するべきです。

つまり、科学的な方法で合成したり(殆どの薬品・薬剤がそうです)、精製・抽出した物は不可で、あまり使用しない方が良いという事ですね。

ブログ


古典的な製造方法のように、乾燥させて、水分などを除いただけのものを製品とするので、

抽出、合成とはいえないのです。

乾燥させた食品と、考えても問題はありません。

あなた達が、乾燥させたお茶を煮出して飲むことが、漢方薬の古典的な服用方法です。

そういう方法やエキス剤ではなく、最近では有効成分の一部分だけを取り出す抽出や合成が、

当たり前のように行われています。


それは、まったく食品としての性質を持たず、新たな合成化学物質としての性質を持ちます。

成分としては、化学の分析上ではほとんど違いがないにしても、

人体に与える食品としての作用は、極めて間違った作用をします。

それは、人体が悪い成分と間違ったり、細胞をだましたり、

他の全く違う物質として受け入れてしまうことを引き起こします。

そこで人体は拒否反応を起こして、アレルギー反応が起きたりします。

拒否反応を起こすまでもなく、すり抜けて身体の中に入った成分が、

腎臓や肝臓の細胞に負担をかけて、悪影響が出てきます。


最近、「茶のしずく」という石鹸を使って、多くの人が大変なアレルギー症状を引き起こし、
裁判にまでなっているニュースが何度となく報道されています。

我々が見る方々でも、病院で処方される薬剤や、
市販の健康食品でも副作用の方が大きいという人達が随分いらっしゃいます。

果たして薬品は、身体に悪影響を及ぼすのか、或いは作り方に問題があるのか、
同様に「海音(中国の元極修練者などが中心になって、張先生の指導の下、作られた中国湖北省の健康食品会社)
の健康食品等も
身体に良くないのか、神にお聞きしてみました。

「海音」などの健康食品の作り方は、古典的な作り方を維持しています。

それは、物質的な成分の一部分を濾過したり、溶かしたりして、科学的に抽出、合成するのではなく、
薬品を乾燥させたり、砕いたりしてして、水分や余分な物質だけを取り除く、
または、溶かして、乾燥させるというような、古典的な製造方法を選択しています。

私事


後日、「きよみ」の無形の施設に行きました。
そこで神よりお話がありました。

増田に話します。
働き者の、あなたの母親もとうとう、この世をさって神となりました。

最終的な肉体の苦しみは、可哀想でしたが、
肉体を失って、神となった後では笑いぐさのようなことで、彼女も
「本当に困らせましたね。」
と 笑っています。
心配はいりません。

縁あり、役割を果たした者は、皆同じような経過をとって、死にゆく運命にあります。

いたしかたないと思いなさい。
修練をすることによって、この世の垢を落とす者も居ます。

貴方の母親は、カルマを落とすために少々苦しみました。
致し方のないことです。

この、「きよみ」の地の敷地内に、四つの鳥居がありますから、
そこのひとつに彼女がやすらかに眠ります。
とは言っても、ここは隠居のようなところです。

美しい施設のようなところです。

お互いが行き来しあって、生きているような家もあります。
ここで、しばらく、生きて楽しく笑っています。

我々が、母親を預かります。
張志祥は、先日、貴方が張家界(中国湖南省)に来たときに、
一緒に連れ立って、ここに来ました。

ここで張先生が出ておいでになりました。

私は今、こうして、ここに依拠しております。
私の住まいは、張家界にありますが、ココにも依拠して、ご厄介になっております。

以後、ここには機会ある毎に寄り、張先生、母親とお話しさせていただいております。 (完)

私事


続けて神に聞きます。
それはお寺の中の墓地でも、良いのですか??

それは、寺でも良いのですが、
広い土地にぽつんと墓が座っているのも、また良きものです。

そこに 訪れることは、人以外はありませんし、
その場所と我々がつながることもありませんが、
訪れてくると、懐かしく思い出すこともありますから、どちらでも構いません。

したいように、すればよい。
というのが、本音のところですが、
し建てるのであれば、さわやかな空気の宮町にしてほしいと思います。

その後、兄弟とも話しましたが、有形の墓に実際母が居らず、どこでも良いのなら、
妹達が行きやすい場所という事で、名古屋の寺に決めました。

私は、無形の墓がすぐ近くにあるのだから、妹達の都合を優先しました。