日之本元極功法


肉体 1

現代医学では、人を物質のみで出来上がっていると断定して、研究を進めていますが、
人の肉体は、有形有象の物質的な肉体と、無形無象の肉体が重なって出来ています。

これは、天目が開いたりしている特殊効能者では判る事ですが、
一般の人々には理解できないことです。

ある修練レベルを超えた者には判る事です。

一般的には、fig.1の有形有象の世界、つまり左側からしか見ていないという事になります。
ところが特異効能者は、肉体をfig.1における左側から見る方法と、
fig.2における右の無形無象の世界側から観る方法の二つの方法を持っているのです。

つまりfig.2を右側から観る方法をも可能にしているのです。
fig.1やfig.2にある「肉体太極図」のように肉体は表裏一体となっています。

有形有象の肉体と無形無象の肉体はお互いに立脚し、お互いに影響を与え合っています。

有形有象の肉体が悪くなれば、無形無象の肉体も不調になりますし、
その反対も勿論成立します。

fig.2の、各内臓名は無形の内臓であって、有形の内臓とは一致していません。

例えば無形の心臓は、有形の心臓のみを指すのではなく、血液を全身に循環させる機能・役割全てを受け持っています。


日之本元極功法


人の構造は、正確に認識されてない 2

どんな方でも、自分には心があると思っているでしょう。
しかし、その心がどこにあり、どんな形をしているのか、はっきり示せる人は殆どいないでしょう。
また、感情が何故わいてくるのか、一人一人の人格がどのようにして形成されているのか、
説明出来る方は居ないと思います。

にもかかわらず、人体内の細胞だの、物質だのを重箱の隅をつつくようにして、
心のありかや喜怒哀楽を突き詰めようとしているのです。

人に関わる見えないものの存在は、修練を通じて天目を開発することしか、解明出来ません。

八百年余に及ぶ代々高徳の士達の厳しい修練とその伝達によって、
元極功法は、その全貌を手中に収めています。

「一子相伝、門外不出」の掟がその公開を阻んでいましたが、
時節到来し、公開が許されました。

よってここに初めて「人の全貌」が明らかにされます。

生き物

日之本元極功法

人の構造は、正確に認識されてない 1

人の構造については、人類の歴史上においても、科学が急速に発達した近代~現代においても、
正しく捉えられては来ませんでしたし、現時点においても未だに解明されて居ません。

それは、現代科学が見えるもの主体、物質主体にしか捉えようとしていないからです。

一部、中国では、古くから経絡やツボの存在を認知し、治療に役立ててきています。
しかし、その中国ですら、現在では西洋医学に浸食され、
見えないものからの治療が徐々に葬られかけてきています。

一時その効果の大きさ故、持て囃された気功法なども、
政治的理由から中国国内では、普及が困難な状態になっています。

そんな状態であったにせよ、真実を曲げることは出来ません。

太一道、元極道、元極学、日之本元極と受け継がれてきているその功力と理論は、
見えない真実を見る無形である第三の目、「天目」によって、人の構造をはっきりと見極めています。

その構造を理解することで、病の改善や、潜在能力の開発を可能にしてきています。

形示し

日之本元極功法


Bさんの場合には、邪気がおならとして排泄されているのです。

この方の場合には、いつも邪気を探して、気にしているので、
人の二倍も、三倍もの邪気を身体に吸い込んでしまいます。

これが、邪気をため込む原因です。
邪気を貰う事を気にするがあまりに、人の何倍かもの邪気を反対に貰ってしまうのです。

こうして、いっぱい貰った邪気を、すわいしょうをすることで、
全身からも、両手からも、そして「おなら」としても、吐き出す事が出来ているのです。

「すわいしょう」の功法としての効果は、確かに発揮されては居ますが、
総合的な結果としては、問題が残ります。

邪気をガードする意識は必要ですが、
あまりに過剰な意識は、反対に邪気を呼び込む事になってしまいます。

場の悪い所はなるべく避けられれば避けた方が良いのですが、
重い病気の方などを、避けるような行為は養徳上からも感心しません。

邪気をあまりに毛嫌いする意識を、なくすることです。

すわいしょうの練功は立派に出来ているのですから、
常日頃抱いている、その邪気を極端に嫌う意識を払拭する事です。   

日之本元極功法


さて、「すわいしょう・そわか(注:ひと及びふたに関係なく)」をすると、
何故「屁」が出るのでしょうか?

Aさんは、「すわいしょう・そわか」をすると、必ずおならが出ます。

また、Bさんは、場の悪いところへ行ってから「すわいしょう・そわか」をすると、おならがでますが、
自宅に長く居た後や、日之本元極新宮練功所などの場の良い所にいった後では出ません。

このお二人には、どのような違いがあるのでしょうか。

実は、お二人のおならには、おなじおならでも、大きな違いがあります。

Aさんの場合は、ゆるんでいる

ことが原因で「屁」が出ます。
ゆるんでいることが原因なので、きちんと「締めれば」、それほど、「屁」は出ません。

この動作の時に、「屁」が出るのは、気のエネルギーが含まれている、勿体ない「屁」です。

せっかく取り入れたエネルギーが、ゆるんで押し出されるのです。

つまり、「すわいしょう」の動作の中で、身体をゆるめて沈めるときに、
肛門がゆるんで閉まらないことに、ひとつの原因があります。

教科書に忠実に、

きちんと提肛(ていこう)励行(れいこう)すれば、成功(せいこう)するでしょう。

形示し