元極功法の閉関とは 3
普善禅師のご説明の続きです。
モノはモノ、人は人ではなく、モノや人と人が関わり合って生活をしていくわけです。
この世の中にあって、人が他の人やモノと関わりを持たなければ、それは、
人として生活をしていく活力もエネルギーもわかない訳です。
かならず、周囲と関わって、生活をして生存しているわけです。
しかし、個を確立して、関を閉じるということは、個が一つの偉大な存在として成長していくためには、
周囲との関係を絶つことが、ある期間必要不可欠なわけです。
ある一定の時間を一つの事柄に執着しないで、時を過ごせる精神力を養成します。
一つの個を確立し、どんな状況でも、耐えうるような精神力を養うためには、
閉ざす必要があります。
個は、世間と通じる関係を持たないばかりではなく、
個は内を見つめて、内の精神を改善していく必要があります。
ですから、個を閉ざすわけです。
個としての存在は、自分自身を見つめる時間が必要だということです。
また一方、竅穴を閉じるということは、その竅穴は一つの存在では、無くなるということです。
全体として一つとして働くということです。
ひとつひとつの竅穴が動くのではなく、
全ての竅穴が一つのモノとして動き始めるということです。
つまり、球体。
存在する全ての竅穴が一つの球体となって、総合的に動き出す訳です。
閉関を始める時には、竅穴がすべて準備されて、準備が整ったということを示しています。
閉関するならば、竅穴は、和合して一つずつ独立していたモノが、すべて、協力体制になり、
一つと一つが二ではなく、十にも二十にもなるような協力体制のとれる、
エネルギーの球(たま)となるということです。
元極功法の閉関とは 2
元極で言う衝関(突関)を開関といっている派があります。
つまりどちらも関(竅穴)を開ける。破る、突く、突破するということです。
それから考えると元極の閉関というのは、文字の意味からすると、
一度開いた関を閉じるということになりますが、
修練の本来的意味は、どういうことなのでしょうか?
普善禅師にお聞きしました。
この「閉関」の文字をそのまま、読み取ってはいけません。
「閉 」とは、閉ざされた世の中と交わりを絶ち、一心に修錬をすると言う意味を持ち、
「関」というのは、「せき」ともいえますが、「関係を絶つ」というような意味もあります。
あなたの指摘している事柄も正しいのです。
周囲との関係を絶ち、一つの個体、周りとの関係の中の個人ではなく、
人として生きると言うよりは、むしろ、神として生きるような存在と成るべく功力を上げるための方法です。
人、或いは社会というのは、人一人では存在して行くことが出来ない、
周りとの関連を持ちながら社会の中で生きています。
物質社会においては、個と全体という関系が存在はするけれども、
本当に個になった時には、何の存在価値もない、存在しえない訳です。
その周りとの関係を一定期間断って修錬することによって、個を確立し、
つまりは個だけの存在ではなく、イコール全体という存在になろうというのです。
たとえば、細胞の一つが、一個になった場合には、存在し得ないわけで、
そうではなくて、次元が上がったときに、一つの意識体として存在可能になるように、
そういうレベルを目指して修練していく方法です。
個となったとしても、常に全体、宇宙全体とか、他の意識体とか、かねあいはあるけれども、
物質界の単なる個と全体という関係ではなく、そこを乗り越える方法であるのです。
個と全体が一緒というか、同期している関係というか、
常に宇宙との合目的的という存在を目指しているのです。
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元極功法の閉関とは 1
我が師・張志祥が修錬時代、
その先代・母親から「閉関をする時が来ました。」と言われた時がありました。
何をしたかと言えば、人の出入りの少ない一番奥に有る部屋のベッドの下に、
深さ160センチくらい、人ひとりが胡座(あぐら)で座るのやっとの広さの穴を掘り、
母と妻以外には誰にも告げず籠もったのです。
閉関を始める時、梯子で穴に入り、その後梯子を外して、
穴の入り口はベッドで塞(ふさ)ぎます。
日に三回、水と食事を下ろす以外は外界との接触は一切ありません。
この状態で十ヶ月、修練を続け、心を磨くのです。
これは元極特有の修練方法で、効力を高める重要な方法です。
しかし誰でも好きな時にやればよいというものでもなく、
そこに至るにはそれなりの修練段階に達している必要があります。
達磨大師が面壁九年、少室山(しようしつざん)の麓で蟻とオケラが争う音が、
まるで雷鳴の轟きの如くに響いたというような故事も嘘ではなく、
閉関の類である修練方法といえます。
ウィキペディアには以下のように説明されている。(2012.08.20時点)
嵩山少林寺(すうざん しょうりんじ)は、中国の河南省鄭州市登封にある中岳嵩山の中の少室山の北麓にある寺である。
インドから中国に渡来した達磨による禅の発祥の地と伝えられ、中国禅の名刹である。
また少林武術の中心地としても世界的に有名。
なお、しばしば誤解されるが、少林寺拳法は日本で創始されたものであり、
現在の嵩山少林寺の武術とは別物である。
伽藍は壮麗な七堂伽藍であり、北西には初祖庵、南西には二祖庵があり、五乳峰中には達磨洞がある。
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