節食、絶食、断食、絶飲食、僻穀の意義―1 (2009.10.28~11.20掲載済み)
近頃、テレビ、マスコミにおいても、人々の話題の中にも、
飲食に関連する物の比重が非常に多くなっていると思いませんか?
特にテレビでは、毎日、朝から夜中まで、「あそこのこれが美味しい」とか、
「ここの何それが、まいう~!」とかいい、大食い番組まで頻繁に組まれて、
高価な料理を沢山食べることが美徳のように奉じられています。
こうした食に関する番組専門のようなタレントも多くいて、
それらの人々は痩せると仕事が来ないというように聞いたこともあります。
まったくもって、今やこの日本は、デブと大食いを礼賛する社会に成り下がってしまったのかと愕然とする思いです。
世界の各所で、毎日多くの人々が餓死しているという現状の中で、自分たちだけが鱈腹食らい、
糞尿垂れ流して、多くの食糧を日々廃棄しているのです。
捨てる位余っているなら、足りない所に何故施すことが出来ないのか?不思議でなりません。
確かに、ある素材をどう料理し、美味しい物に仕立て上げるかということは、
その積み重ねとして文化の創造と言えるでしょう。
その地域の食材をそこの風土に合わせ、調理する。
そのことが一番身体にも、その場所にとっても良い消費方法であることは間違いありません。
近年、地産地消という言葉が盛んに使われていますが、
実際には、食材の六割以上が外国産であるという体たらくなのです。
今住んでいる所の風土で育った、食材をその風土にあった処理方法で調理し、過不足なく戴く。
これが本当の地産地消であって、文化に繋がる所行であり、
健康の秘訣と言えます。
決して食べ過ぎてはいけないのです。
「腹八分目」
昔からの言い伝えですが、これは一般的な人々に言えることで、
修練者にあっては、無形の三元エネルギーを取り入れることが出来る訳ですから、
上級になればなるほど、その比率は下がっていくことになります。
この延長線上に、節食、絶食、断食、絶飲食、僻穀等の概念と、
実際の事象が存在するのです。
キャノンS90