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日之本元極功法

修錬と食事 1 (2009.11.28~12.12 掲載済み)

日之本元極功法の修錬を、真剣に続けていると、

(真剣にと言う意味は、養徳なども含めて取り組んでいることを言います)

何度もこのブログや講座内で申し上げているように、

食事の好みというか、食べる物に変化が出てきます。

あらゆる物には、その物固有の波動が存在します。

勿論、人においても同様です。

養徳と修錬を続けていると、自らの波動がドンドン精妙になってきます。

自分の波動が細かく精妙になってくると、荒くて粗い波動の食べ物には、

身体より自動的に拒否反応が出るようになってくるのです。

食物を大きく分けて、

1.四つ足の動物の食肉

2.鳥等の肉

3.魚介類

4.植物・穀類

の順に波動は細かくなっていきます。

そして修錬をしっかり続けていると、上の1番から順に食べられなくなっていきます。

あるいは、ある時突然1から3番までが食べられなくなることもあります。

しかし、修錬を継続的にそこそこしていても、

そういうことが起こらない方も見えますから、あまり気にしないこと。

そして早くそうなるようになどと求めないようにしましょう。


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日之本元極功法


三泊四日の絶飲食・絶食錬功会が終わりました。

都合で一部の錬功や貫頂帯功しか受けられなかった方々を含めれば、20名にも為りました。

絶食、或いは絶飲食を行った修練者は、13名でした。

スタッフのみの錬功会になってしまうのではないかと思っていただけに、ビックリの結果でした。

中には、たった2日の事だからと、高を括(くく)って参加なさった方もいらっしゃったようですが、

数日から一週間位前より膨大なエネルギーが参加者に入り始め、

特にこの期間内はその参加者の受け皿以上のエネルギーが入ります。

食べない、飲まないことよりも、このエネルギーに耐えることの方が遙かに大変なことなのです。

受け皿以上のエネルギーが入ると、誰でも好転反応が出て、体調不良になります。

しかし、良くしたもので、こういった時の好転反応は我慢出来るぎりぎりの範囲で出てくるのです。

それに耐えて、修練することで、その人の受け皿が一回り大きくなるのです。

こうしたことを繰り返し、修練者としての器が成長していきます。

ただし、この好転反応の体調不良は、ほぼ平等に顕れるにも関わらず、

一人一人の感性の違いが出てきます。

そういった反応に敏感であったり、

痛みや苦しみにオーバーに反応してしまう人達もいるため、皆一様ではありません。

相当の痛みや苦しみにも耐えられる人もいます。

その我慢の度合いがその人を伸ばします。

常識的には、結構ビックリする症状も出るのです。

痛い、苦しいだけではなく、戻す、下す、血尿、血便、血反吐を吐く、

三元が入る瞬間に意識が無くなる、湿疹、骨や筋肉の異常な痛み等、

通常なら病院に行くようなことも何でもなく起こります。

私も血便以外は皆何度も体験してきています。

でも、今回は皆さん全員、完走しましたよ。

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日之本元極功法

なぜ動物を食べてはいけないのか(二) (070717前出)

 食肉にはそうした想念とは別に、その物の持つ波動という問題もあります。

一般的に言うと、大きな動物ほど、寿命が長く、小さい動物ほど、

輪廻転生、次から次に生まれ変わる時間が短いという傾向があります。

もちろん例外もありますから、一概にはいえませんが、

小さい動物ほど早く死んで生まれ変わるというような性質を持っています。

そういうふうに、早く生まれ変わり死に変わりして、

大きな動物になってくるとどんどん、人間の波動に近づいてきます。

長生きをする波動を持つのです。

そうすると、長生きをした動物というのは、波動が悪いのです。

つまりは、老化現象を感じるわけです。

老廃物の蓄積もあります。

人の波動は、もし食べようとするならば、とても悪い波動を持っているのです。

長生きする動物は、食料として適切ではないのです。

 食肉用の肉には、例外はあります。

大型化して飼育しているものもありますから、

すべて、大きい動物が悪くて、小型の食肉が良いかといえば、そうでもありません。

小型のものの寿命が短くて、物理的な面もたくさんあります。

大型の動物は、小さな動物を多く食することにより、その中の邪気、有害物質を蓄積していきます。

身体の中に、邪気や有害物質をため込まないという意味で、

若いもの、新しいものは比較的『良い』わけです。

 役割の問題もあります。

なるべく長生きして人のために働いた動物の魂は、

次の段階で人の潜在意識として使われるわけです。

その観点から見れば、食料として育てられたものは、食料として良い波動を持ちますし、

そうではなくて、人のために生きること、人の役に立つために、生きる役割を持ったものは、

食料としてではなく、生きて働くために良い波動を持ちます。

むしろ、食料として食べられるよりも、人の役に立って、身近で働くことに優先順位があります。

ですから本来、食料としての役割を持っていない動物は、波動も悪く、

その肉体の上に依拠していた意識は役割を全う仕切れなかった思いや、

死への恐怖、殺そうとする人に対する反感などを自らの肉体に残して離れて行っています。

そうした食料が身体に良いわけは無いのです。

 何度も生きて来た、生き変わり死に変わりしてきた意識を持った、

そしてより人に近い動物の肉は、基本的に食べてはいけないということです。

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なぜ動物を食べてはいけないのか(一)   (070717前出)

 よく修練者から出される質問、

「なぜ、動物性のタンパク質は制限することが必要で、植物は食べても良いのか?」

に答えます。

 組成が違うというのが一番の理由です。

それは一般に植物というのは、動物の身体に取り入れられて、動物の身体を成長させて、

維持することが出来るようにという目的のために生まれてきたものです。

動物に食べられて、また次の命を産み出すという性質を持っています。

たとえば、植物は動物に食べられて、その種が糞となって広域にばらまかれ、

自らの生存域を広げ、子孫の役割を広げていくというような特質を持っているので、

その組成は、動物に受け入れられやすいように創られています。

植物はそういう食料としての本来の機能を持っているということです。

動くことの出来ない植物が、動物に食べられることにより、

自分たちの子孫を増やし、広げることを達成しているのです。

植物にとって動物に食べられることは、むしろ喜びであると感じています。

 肉食は、人の身体を維持することが可能ではあります。

しかし、身体を成長させるためのエネルギーとしては不適切である、といえます。

動物としての人が動物を食べる行為は、身体を維持させるためには有効ですが、

それを食べて子供が成長するのは、有害だということです。

それは、成長に相応しいタンパク質ではないという理由からです。

動物の恐怖心、動物の生きてきた営みを中断させるようなエネルギーを食肉は持っています。

ですから、次から次に生まれ変わって成長するような
(子供の体内では細胞が次々に生まれ変わっています)

段階にある子供たちの食べるものではないということです。

 命がそこで途絶えた、無念な気持ちがそこにはあります。

そういう意識を魂や他の意識も持ち、かつその想念を肉体に残して離れて行っているのです。

その思いが全て物質的な栄養の中に含まれていて、

人はそれをも全て食べてしまいます。

よって、子供にとって動物性のタンパク質は必要ではなく、

むしろ有害であると言わなくてはなりません。

大人の身体を維持する為には、ある程度食べるのはやむを得ない面はありますが、

子供は食べてはいけないのです。  


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