人の体の不調箇所が的確に判るようになってくるのと同時に、
その不調が自分に感じるのです。
痛い、苦しい、不快だ、気持ち悪い。
こんな症状が本人同様、自分にも襲ってくるのです。
人の為に、人の不調箇所が判り、対処して上げられる能力がつくことは素晴らしいのですが、
次から次へと襲ってくるその不快感には耐えられません。
どんどん鋭敏になってくるその能力は、そのうち道ですれ違う人の不調まで拾って、
こちらが不快になってくるようになりました。
そんなとき浮かんだのが、この言葉でした。
その小説「家族八景」を読んでからその時まで、既に二十年近く経っていたと思いますが、
何故かこの言葉が蘇ってきたのです。
人の悪い箇所を感じるセンサーの扉を閉めて「掛け金を下ろす」ことを練習したのです。
やって行くうちに、うまくできるように為るではありませんか。
以来、体を観る依頼があったとき以外は、いつも「掛け金を下ろして」います。
そして、私が教えているスタッフ達には、「観ること」や「功法」の安売りはするな。
と、いつも言っています。
なぜなら、安いとこちらの苦労が伝わらない。
相手が自分の病気を、自分で治そうとしない。
功法の価値が相手に判らない。
・・・・からです。
数百万円、数千万円掛けても、現代最新科学や医療でできないことを実現するにも関わらず、
「500円」で、して貰おうとする人が後を絶ちません。
「掛け金を下ろす」ことは、
我々が観る人から貰ってしまう悪いモノから為る「自分の肉体の不調」や、
相手との認識のギャップから起こる、「人助けを継続する気持ちが萎えそうになる」のを、
ガードする唯一の方法なのです。
キャノンS90