紫気東来 2
確か、私が元極を始めて6年目、1998年のことだったと思いますが、
その時、張志祥先生が、普及会会長に講座参加のお礼として、「紫気東来」の掛け軸を下さったのです。
今でも元極碑林には、その石版がありますから、
その後、普及会の会長が、講座がまだ3,4日残っているのに、
私は、講座を受けに来たのだから、最後まで受講して一行とは別に帰ることにしました。
一行が、観光に出発して直ぐに、蓮花山の係の人が
「こんな大切な物を忘れていくか?」
蓮花山にいる間と、移動途中に泊まったホテルでは、その掛け軸を掛け続けて修練したり、過ごすことが出来ました。
その掛け軸からは、えも言われぬ三元エネルギーが溢れ出しており、
私は数日間の間に、しっかりその掛け軸からのエネルギーを頂きましたので、
中国から見て、日本は東の方角にあります。
そして、世界のどこから見ても、日本は FAR EAST(極東)にあたります。
紫気東来 1
道教には「老子過函谷関、紫気従東而来」
(老子函谷館を過ぎ行けば、紫の気が東より来たりぬ)という言葉があります。
「紫気東来」という言葉は、非常に吉祥で縁起の良い意味で、中国でもよく使われるそうです。
文字通り、紫の気が東から来るということです。
大昔、老子が周を離れ、西への旅に出たときのことです。
周昭王大夫尹喜が星宿の異動に気がつきました。
空に紫の気が東から西へ流れていました。
この事から、聖人がこれから西へ行くということを悟りました。
まもなく函谷関(下に##注)の関令に就任して、そこで聖人を待っていたのです。
すると、直に老子が青い牛に乗り、紫の雲をたなびかせながら、函谷関にやって来たのです。
彼は、「お教えを頂きたい」と懇願し、《道徳経》を授かったのです。
##注 「箱根八里」という唱歌に
「箱根の山は天下の嶮 函谷關も ものならず」と出てくる。
『箱根八里』は、作詞:鳥居忱、作曲:瀧 廉太郎(滝 廉太郎)による日本の唱歌・歌曲。
1901年(明治34年)発行の「中学唱歌」に掲載された。
歌詞には李白の漢詩、中国の故事や古典・歴史に由来する事項が多く盛り込まれている。
函谷関(かんこくかん)とは?
歌詞に登場する「函谷関(かんこくかん)」とは、
中国の長安と洛陽の間、長安のある漢中の地への入り口を扼する関所を指す。
【歌詞】 箱根八里
第一章 昔の箱根
箱根の山は、天下の嶮(けん)
函谷關(かんこくかん)も ものならず
萬丈の山、千仞(せんじん)の谷
前に聳(そび)へ、後方(しりへ)にささふ
雲は山を巡り、霧は谷を閉ざす
昼猶闇(ひるなほくら)き杉の並木
羊腸の小徑は苔滑らか
一夫關に当たるや、萬夫も開くなし
天下に旅する剛氣の武士(もののふ)
大刀腰に足駄がけ
八里の碞根(いはね)踏みならす、
かくこそありしか、往時の武士
写真は、青城山での額