5月4日と5日の夜に、新公開します「免疫力活性適正化手当法」について、少しご説明いたします。
当初、この功法の教科書と録音教材が、この特別講座に間に合うかどうか分からなかったので、
追加の設定になったので、夜間の公開になってしまいました。
この功法は、日之本元極における疾病に対する最終兵器とも言える重大な功法です。
すでに
「ばばたぬき」さん
が、4月26日から何回かに渡ってご自分の体の変化を書いてくださっています。
1月半くらい前でしたでしょうか、明け方寝ているときに
「こうすればは免疫力を上げることができるんじゃないか?」
と思って、目を覚まし、横隔膜に三元エネルギーを何カ所かに渡って入れることが最初でした。
すると、掌門人の神々から「早く作れ、早く作れ。」と尻を叩かれました。
結局、11カ所の手当法として完成しました。
しかし、大きな特徴は最初に寝ながら考えた「横隔膜」と、それらをコントロールする「間脳」を調整することです。
特に「横隔膜」については、免疫力と関係あるとは思いもよらない事でした。
もちろん、現代医学的にも横隔膜は、
わずかに呼吸を助ける程度のことしかしていないと、考えられています。
ところが、中国の故事に「病膏肓に入る(やまいこうこうにいる)」というものがあります。
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病膏肓に入る (故事ことわざ辞典から)
【読み】 やまいこうこうにいる
【意味】 病膏肓に入るとは、病気がひどくなり治療のしようがないこと。
趣味や道楽に熱中しすぎて、どうにも手がつけられなくなることのたとえ。
【病膏肓に入るの解説】
【注釈】 「膏」とは心臓の下の部分、「肓」とは横隔膜の上の部分のこと。
この部分は薬も針も届かないので、治療が困難な場所であり、
そこに病が入り込んだということから、病気が重くなって治療のしようがないことを意味した。
転じて、あることに熱中しすぎて手がつけられなくなることをいう。
『春秋左氏伝・成公十年』にある以下の故事に基づく。
晋の景公が病気になり、秦から名医を呼んだところ、
医者が着く前に景公は、病気の精が二人の童子となって、膏と肓の間に逃げ込む夢をみた。
医者が到着し、景公を診察すると
「膏と肓の間に病気があり、薬も針も届かないので治療のしようがありません」
と言ったので、景公はその医者を厚くもてなした。
まもなくして景公は没したという。
【出典】 『春秋左氏伝』
【注意】 「膏肓」を「膏盲」と書いたり、「こうもう」と読むのは誤り。
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この故事にでてくる名医とは、「医緩(いかん)」という人ですが、神になっておられます。
今も昔も、無形のものがわかる人は、真実に近いということでしょう。
立夏特別講座のこの二日間に、 多くの方々に受講をして頂けます。
それらの方々の修練した後の感想と、変化が楽しみです。
また、受講者の中でも超敏感な「ひの子」さんが、
ご自分のブログで書いてくださると約束してくださったので、
みなさんも楽しみにお待ちください。
キャノンS90