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元極功法


ここまで読み進めてきた人の中には、

まだ訣を黙念することと「拈華微笑」の故事に象徴される衣鉢の伝承などのことと、

どういった関係があるのかお判りになっていない方も多かろうと察せられます。

元極功法の特色と言える「修錬中の訣の黙念法」について、

張先生は次のように著作の中で言及されています。

訣は黙念を通じて、日常生活の中で広範な妙用を展示している。

しかし、それらの多くは自発的な性質に属するものである。

しかして元極功法の修錬方法――「功訣を黙念する」ことは、

正に日常の最も普遍的な方法を概括して、制定されたもので、

元極図の「生化返」の規律に基づいて系統化したのである。

そのために、元極功の功訣を黙念する方法には普遍性・簡易性がある。

凡ての修錬方法は、みな功訣を黙念する方法の中から進化したものである。

 (つづく)

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元極功法


私は張志祥先生より、何度にも渡っていろいろな能力をお渡しいただいた。

題に掲げた故事は故事だけではなく、元極功法に脈々と流れる神秘的な能力・情報の伝達方法である。

私がこのことを最初に実感したのは、

元極を修錬し始めて4,5年経った頃、中国・蓮花山に行ったときのことであった。

その時講座に集った日本人や中国の客人達と共に、

張先生と昼食を取る機会が与えられた。

楕円形の大きなテーブルに十五・六人が着いたであろうか。

テーブルの真ん中には、大きな花が飾ってあり、心の行き届いたもてなしが感じられた。

私は幸運にも、張先生の直ぐ右横の席に案内され、着座することが出来た。

食事中は、いつもの事ながら、修練者や客人から張先生への質問で終始される。

食事が佳境に入った頃、あまりというか殆ど量を召し上がらない張先生の右手が箸を置き、

人差し指の先で小さくテーブルの上に文字のようなものを書いたのを見逃さなかったのは、

場の利を得た私だけであった。

他の者は、中央に綺麗に飾られた花器に阻まれて気がつかなかったのである。

「あれ、食事中に何をお書きになっているのだろう?」

と訝(いぶか)った私の脳裏に次に進入してきた意識は、

「あっ、何か戴いた。」というものであった。

その時は、あまりに突然のことで、何を戴いたか見当も付かない状態で、

その後の食事は、呆然と過ごしていて、何をどのように食べていたのかも良く覚えていない。

数日後、その時戴いた力は、

人に能力を渡す力であることがハッキリと判った。

 (つづく)

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元極功法


張志祥先生は著作の中で、次のような例を挙げてみえる。

霊鷲山(りょうじゅせん)にて、釈迦牟尼が衣鉢(いはつ)を伝える為に

全体の弟子を坐前に呼び集める。

衆弟子は世尊が説法するに違いないと思っていたら、

しかるに世尊は端坐して無言のままでいる。

衆人がいぶかっている中を、迦葉(かしょう)が世尊に向かって微笑する。

世尊は直に手に持っていた花を迦葉に渡して、

自分は既に衣鉢(いはつ)を迦葉に伝えたと声明する(この時、正法眼蔵-しょうぼうげんぞう-を与えたと言われる)。

この「拈華微笑」の故事は、即ち「知音相伝」である。

それは心音の情報が相互に疎通した為であって、無声の対答の中で心で衣鉢を伝えたのである。

禅宗は従来この方法で衣鉢を伝承するのである。談話は音に対する黙念であり、

訣に対する変化(へんげ)であって、功能態の下に行われる交流である。

談話で病気を治すことが出来るし、談話が功力を増進させることも出来る。

古代の各門各派は、みな口授心伝を重視する。

その妙用は即ちこれらの原因に基づくものである。

私が、度々錬功会に出てくる人達に、錬功が終わったらサッサと帰るのではなく、

その後の談話や、食事会に出席しなさいと言うのは、

こういった理由からである。

 (つづく)

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食べ物について

高山からは、ちょっと遠いかもしれませんが、

下呂ですてきなお店見つけました。

下呂市森の「仲佐」です。

下呂市役所のすぐ近くです。

量が少ないので、普通の方には量が物足りないかな?

いまだに石臼を手で挽いているそうな。

私には、濃い汁がぴったし。

下の二枚の写真に写っているセットで、@2000。

ちょっとお高いかな・・・・。

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先回、「伝音」の 波動伝達と申し上げたのは、

元極特有の言葉であらわせば、「元音」の伝達ということであり、

一般的に判り易く表現したに過ぎない。

何度か、講座の中で私が体内より元音を生発し、

「風(ふぉん)」という形でお見せしたのを覚えていらっしゃる方もおいでであろう。

この元音生発の功法は、「階み」に昇格すれば、

修錬段階として勉強することが出来る。

黙念の基本は、日常会話の中にもある。

それについて、張志祥先生が、その著作の中で語っておられる。

談話も訣のエネルギーを表現する一種の方法である。

現代のいわゆる「外気を放出する」功に相当する。

人が交談しているときは、思想を交談の内容に集中させて、

全身のエネルギーを動員して談話に応対する。

意気投合して話に脂がのってくると交談者は「功能態」に入るのであり、

体内の「音」が高度に組み合わされて配列し、口から妙語、警句が連発される。

この時は特異なエネルギーが放出されていて、聴者を魅了してしまって、

その喜びに従って喜び、その悲しみに従って悲しむ。

これはエネルギーが聴者に働きかけて、「共同の音」を出させたのである。

音を持って、音を求めるため、双方の心音が同調までに達する。

これが即ち共鳴であり、知音である。

 (つづく)

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