神社・仏閣

キャノンS90 

病と功法

最新の医学ほど、その部分を切り取って癒す方法をとりますが、

その一部分が悪いからといって切り取ってしまうことで、

全身の調和がダメージを受けてしまいます。

欠けた部分を補うがために全身はどれほど無理をして、

補うことばかりに気(エネルギー)を浪費して、

結果的に短命になってしまうかという事実に目を向けるべきなのです。

この功法によって、こつこつと修練を重ねれば、

一点を切り取ることなど必要がなく、

もし仮に、その一点が回復しないとしても、存在が残っていさえすれば、

その欠けている一点を全身が補って、

励まし合いながら機能していくことが叶います。

しかし、一点を切り取ってしまえば、

その部分は全く身体にとって機能しないばかりではなく、

欠損しているのですから、他のネットワークが補う事が出来ず、

助け合わない関係が出来ます。

病は病として、「一病息災」と言われるような生き方をすれば、

それは一つを補って、生命が保たれるしくみです。

「二つあるから、一つは取って良いだろう。」

これも違います。

二つあるのは、それなりに理由があります。

それを如実に表しているのが、肺です。

肺は左右一対とみられていますが、

右肺は上葉・中葉・下葉の三つの分かれています。

それなのに左の肺は、上葉・下葉の二つにしか分かれていないのです。

左右の五つの部位が、それぞれ違う働きがありそうだということは、

容易に想像つくではありませんか。

間違ってはいけません。

切り取っては ならないのです。

 シグマDP2メリル

神社・仏閣

キャノンS90 

病と功法

電化製品や自動車の故障を直すには、

悪い部品の交換をして修理は完了します。

それで何ら問題なくその後は使用出来るようになります。

ところが人を含め生体では、そうは簡単に事は済まないことが多いのです。

臓器などの一箇所の働きが衰えて、それを補うということは、

そこだけ見れば極めて有効ですが、すべて丸くなる、円滑に事が進むためには、

欠点と思われる一つを治しても難しいのです。

怪我についても、その影響が全身に及んでいることを、現代医学は知りません。

小さなものはいざ知らず、怪我の箇所、

一つを治したところで完全に元には復帰しないのです。  

その現代医学の盲点となっているところを、日之本元極の功法が補い、

そして人の身体が、すべてが統括された肉体であり、

システム全体として円滑に機能してこそ、健康な肉体であるということを、

世の中に示して、知らしめなければなりません。

一点専門主義という現在の細分化された医療は、

方向性として真逆に進路を取っているとしか思えません。

癌が一箇所にあって、その癌を取り除いたからといって、

そのことが身体に与える影響は極めて大きく、

一部分を切り取ったからといって、そこのみでなく全体に影響が及び、

肉体あちらこちらでがシステムとして機能しなくなるのですから、

現代医学の切り取って治そうという方法は、

正に「木を見て森を見ず」的な遺憾な手法と言えます。

 シグマDP2メリル

神社・仏閣


キャノンS90  

元極功法


この無形で伝達される元極独特の手法について、

被伝授者が未熟な為に折角の伝達行為を全く無にしてしまった例をご紹介しましょう。

ある時、蓮花山の張志祥先生の所に、非常に遠方の弟子が訪れました。

張先生は、遠方での元極功法普及のお話に大変お喜びになり、

更に普及活動が円滑に行われるようにと、お力を授けることとされました。

まさに、伝音しようとしたその時に、永年心底、元極功法を信じて厳しい修練を続けてきた弟子の一人が、

所用で張先生の部屋に訪れました。

そこで張先生は、その二人の弟子に、同じように力をお渡しになりました。

後から所用で来た弟子は、その時、遠方の弟子に対して非常に感謝したそうです。

「あなたのお陰で、張先生からお力を授けていただくことが出来ました。」

その後もその弟子は、、厳しい修練を日々続けて現在に至っています。

もちろんその弟子は戴いた力を実感していた訳です。

遠方の弟子は、伝音の形は認識したものの、その実質は理解出来ませんでした。

そして、その時から何年も経った今、その二人の力の差は、歴然たるものと為りました。

「張先生からお力を戴いた」事で、その力に頼り切り過ごしてきた遠方の弟子と、

戴いた力を更に高めようと、必死の修練を続けてきた弟子では、

子供と大人ほどの力量の違いが生まれています。

偶然、ラッキーにも伝音をしていただいた弟子とは、

昨年来日された「きく・てい」先生のことです。

 (完)

キャノンS90 

神社・仏閣

キャノンS90 

ブログ


そしてその独特の修錬の結果として、

天・人「共同語」である元音の把握が可能となるのである。

張先生は続けて語る。

元極功の独特の修錬方法は、

元極図(現在では、もとつきわみ図)の原理に基づいて制定されたのである。

元音は天地万物の「共同語」であって、有・無を貫通する性質を持ち、

天地人を召喚して自然の秩序に従って同調して、真空界に帰還するのである。

自然界の音(おん)はみな一々人体の各部位に相対応していて、

そして人体内の音も刻々自然界の存在に対応している。

この二筋の情報流が人体内で昇降、出入りしたりして、

間断なく対応している。天・人の間に二筋の情報流が存在していて、

心身の間にも同様に二筋の情報流が存在している。

人の思考している事は、心身を貫通すると同時に天地にも貫通している。

元極功が十字真言(現在では十二字真言)を黙念することによって、

訣が生化して音となって、人体内の二筋の情報流を連接して、

無窮に循環する「天人の合体」を形成するのである。


この元極独自の元音の生発、共鳴、伝達の効能を身に着けることが、

「拈華微笑」の伝達方法の基本なのである。

(つづく)

キャノンS90 

神社周辺


シグマDP1

元極功法


更に、張先生は次のように続けます。

各家各派の修錬の啓蒙段階もみな理論の学習から入門して、

先ず要訣の解悟から着手するのである。

元極功と違うのは、訣を黙念する過程を錬功に入る前の段階において、

そして訣のエネルギーを大脳の中に貯存しておき、

錬功・内省・参禅・練丹などの実践に移るとき、本門の功法要訣に対して、

自分の解悟した部分を整理して、自らの訣を作り出して、錬功の全過程を指導する。

最後に自作の訣が完全に功法の精義に適合することが検証されたとき、

即ちこれを「得道」したと言う。黙念をしないようであるけれども、

実際には黙念が始終錬功の全過程を貫通している。

ただ人々がこれを見落としたに過ぎない。

元極功は元極功訣「三元」自身の特性と元極功エネルギーの発生発展法則に基づいて、

功訣を黙念する特殊な方法を採用したのである。

始めから終わりまで功訣を黙念することによってエネルギーを展現し、

そして竅穴に働きかけて、逐次に竅穴を「音化」する。

一旦竅穴の音が玄関(上丹田)の音(心音という)と徹底的に貫通すれば、

訣の情報としてのエネルギーが展現されるようになり、

同時に訣の内包も悟得されるようになり、

修錬の境界もこの悟得と共に絶えずに高められていく。

元極功法「功訣の黙念」の効用がお判りになっただろうか。

諸家諸派の功法が、一人一人の得道にその成果を依存しているのに比べ、

元極功では先哲の背中に梯子をかけて更に高みに登るようなものなのである。

 (つづく)

キャノンS90