国生み 4
矛先、棒、おのころ島の三つがどんな物か解った所で、
前述の神話の真実を、お話ししましょう。
まず「おのころ島」が、
「ぬぼこ」で海水をすくって創られたものではないということ、
既にご理解いただけたことと思います。
「おのころ島」という神界と顕界を繋ぐ空間の裂け目に
無形の「ぬぼこ」という道具を突き刺して、
神界の情報を救い出し、顕界で、物質化した訳です。
それが日本の、いろいろな島々として神話には書かれています。
伊邪那岐と伊邪那美が島を生んだ訳ではありません。
実際は、次々と物質化した島々に、
そこを統治する為の神々を、生んでいきました。
島を統治する神ですから、、その島の名前と同じような名前にしたのは、
無理からぬ所です。
そこを神話では「島を生んだ」と、取り違えた訳です。
国生み 3
ぬぼこの「ぬ」とは、多くは「瓊」と書きます。
「たま」という意味があるので、
古来玉飾りのついた矛というふうに解釈されてきました。
本来は、どういう意味があるのかといえば、
「たまじゃくし」のことです。
無形の「たまじゃくし」で、おのころ島の底に入れて、
掻き混ぜて掬(すく)い上げるのです。
無形の神界から掬い上げて、掬い上げたものを有形の顕界に拡げていく「たまじゃくし」です。
ぬぼこは、神界とつながる「いと(意図)」を強くしたようなもの。
先が神界にとどいて、神界の結界を破るように突き刺さるようなかたちをしています。
そして、抉(えぐ)り取って、神界の事実を顕界に持って来る。
そう言うと、つい神界が下にあって、すくい上げるというイメージになってしまいがちですが、
実は無形の空間に突入するような形をしていて、
神界と顕界を繋ぐおのころ島から、
神界の中に入れて、事象を抜いてきて顕界に写しだす、そういう形をしています。
けれども、矛先だけでは用をなしません。
神界の底まで矛先が届く必要があるからです。
矛先につける棒が必要になります。
相当なしんぼう(辛抱=心棒)をした者だけが、手に入れることが出来るそうです。
神界の底まで届く棒と、
顕界と神界の結界を切り裂き、神界の事実をすくってくる矛先と、
結界の穴であるおのころ島が揃ってはじめて、
自在に形現しが出来るようです。