「といし」が使われています。
「砥石」ではありません。
「といし」です。
無形の道具、「打ち出の小槌」と、同じようなものです。
役割毎に、神が使う無形の道具が存在します。
神によって、今「といし」が使われ始めました。
気をつけなさい。
今までにも、何度か使われたことがありました。
「意思」を「問う」作業が始まっています。
「といし」です。
日之本が大きく変わる前に、「意思」が「問われて」います。
コレを使って、今現在、修練をしている者たちの、意志を問うています。
しっかりと気を引き締めて、気をつけなさい。
この「といし」を使って「いし」をとい、生き残るか、はたまた神上がるのか?
そして、はたまた肉体は死に、死ぬのみで意識は神あがらないか?
そういうことの、決定がなされます。
「といし」がもう一度使われています。
現在修練をしている者たちは、ひたすら修練をして、日之本元極に通い、
その存在を信頼しています。
しかしながら信じているように見えて、自分の身体の都合だけで修練している者たちもいます。
神は、ふたたび「といし」をつかい、それらの選別をしていくそうです。
なぜ、今の時期に「といし」を使うのかといえば、
「なにわに ちのあめがふるとき」が、近づいているからです。
「といし」が使われるとどうなるのか?
それまで日之本に、神の力で引き寄せられていた縁ある者達が、本人の自由意思に任されます。
本当に日之本を信じ、人の為に働こうとする者には、何ら変化がありません。
自分の利益の為だけに修練する者は、直ぐさま離れていくことになります。
離れていくとどうなるか、今まで積み上げてきた功と徳がさっぱりと消え失せます。
そして、次の世に生き残れなくなるだけです。
離れた後に、気がついて、戻ることが出来るのか?
はい、戻れます。
元極には「来る者は拒まず、去る者は追わず」という掟があります。
但し、全くゼロからの御出直しです。
以前まで、どんな高みにいようとも、「階む」から、またやり直しになります。
以前はどんなときに「といし」が使われたか?
一例を挙げれば、
東北の震災後、全国から二十家族を超す修練者家族が高山に転居してきました。
それから暫くして、「といし」は使われました。
「高山に来れば、もう安心」とばかりに、
心が離れ修練をしなくなり、日之本元極にも来なくなった人達が数多くいます。
次の世に、残れぬ者達です。
同じくならぬよう、気をつけなさい。