動作を伴うがごとく気が巡るということを教えたのですが、伝わりませんでした。
動作があるというのは、全くの間違いです。
気が巡り続ける按摩にしてはどうでしょう?
どのようにでも使ってください。
日之本元極によって開発される数々の潜在能力、功法の原理など
動作を伴うがごとく気が巡るということを教えたのですが、伝わりませんでした。
動作があるというのは、全くの間違いです。
気が巡り続ける按摩にしてはどうでしょう?
どのようにでも使ってください。
今、日本と中国は、双方政権トップの地位へのこだわりから、
おかしな関係になっていますが、本来上手くやっていける仲だと思います。
習近平さん、阿部さん、早く目を覚ましてもらいたいよ。
――これを読めば日本人のイメージが完全に変わる」と題した記事を掲載した。
中国人が日本での体験をつづったコンテンツで、内容は以下のようなものだ。
座りたいので、中国人の知恵を発揮し、ホームに入ってきた列車に空いている席を見つけると、
降りる人を待たず、乗車待ちの列も無視して乗り込む。
いつもそうして座っていたが、ふと悲しくなった。
私のようにして座る人がほかにいないのだ。
恥ずかしく、不安になった。そして、ほかの人たちのように並んで乗り込むことを覚えた。
通勤時間帯でやや混んでいたため、誰かの服が私の傘に引っ掛かり、傘の骨が曲がってしまった。
文句を言おうとしたが、相手に先に謝られた。
私が傘をきちんと閉じていなかったのに、相手は自分が悪かったというのだ。
もしも相手が「あなたの傘が私の服をひっかけた」と文句を言ってきたら、絶対に私は言い返す。
でも、謝られてしまったので、なにも言えなかった。
その日は混んでいて、私の順番は5番目ぐらいのはずだった。
しかし、私の後に来た人の方が先に案内された。
すると店の人が私に向かって笑いながら
「すみません。先にいらしていたお客さんなんですが、トイレに行かれていたので」と説明した。
「なに!? トイレ? そんなこと信じられない。知り合いだから先に案内したんだろう?」と食い下がる私。
店の人は「信じないって……。私はウソを言ったことはない。どなたも同じお客様だ。なぜあなたを騙す必要がある?」
と言ってきた。
店の人は私に
「人と人の間で一番大事なのは信頼し合うことです。騙したり、騙されたりで、どうやって一緒に生きていけますか?」
と説教をした。
彼女は悩みながらようやく1着選んだが、後で見てみると中国製だった。
彼女は泣きながら「毎日、インスタント麺を食べて節約して、やっと日本に来て買い物したと思ったら中国製だなんて……。」
私たちは返品しに行くことに決めた。
私は「着てみたらきつかったと言えばいい」と言ったが、
「着てるのに、返品させてくれる? 交換してまた中国製だったら?」と、彼女。
結局いいアイディアがみつからず、「返品させてくれなかったら文句を言おう」ということにした。
緊張しながら返品させてほしいことをなんとか説明すると、店の人は笑顔で
「大丈夫ですよ。お気に召さなければ返品も交換もできます。そんなに説明はいりません」
と、すぐに代金を返してくれた。
店を出る時、その店員は「お手数をおかけしました。またお越しください」と頭を下げた。
すると、「お店の人、あんなによくしてくれて。他にいいのがないか、もう一回見に行こうかな」と彼女。
また店に行くとさっきの店員がいて、接客してくれた。
そして友人はついに日本製の服を買うことができた。
必然性の中で考えついて発見しただけのことです。
しかし、動いては、精神の修行ができません。精神の統一が乱れます。
骨を緩め、筋肉を緩め、筋肉に気を巡らせ、身体の隅々まで気を届ける。
そういうことへの私なりの回答が、この易筋経です。
この二つ共、それに応用してください。
骨そのもののところを三元エネルギーが渦巻き状に上下するということが加わりますと、
これは脊髄を整形して、ほどよい間隔を保ち、正しい位置に訂正され、
本来の位置関係に形成されていきます。
というように、思えばいいのです。
と、思えば良いのです。
思いを言葉にすれば、それで叶います。
または訣のようなものでなかったのかと私は思ったのですが、
それを弟子に渡したのではないですか?
こうすれば座り続けることが出来ますよという極意を、
洗随経や易筋経として弟子に渡したのです。
なにも動功としての洗随経や易筋経、
動く方法(八段錦や武術)を渡したのではありません。
皆の者たちはそれが出来なかったのです。
身体を動かして、そのことを可能にするしか方法を見つけられなかったのです。
私は座ったままで喜んでそれが出来たのに、
彼等は、そのことを座りながらできなかったので、
実際に可能にするには身体を激しく動かすしか方法を見つけられなかったのです。
私は、その方法について黙認しました。
私は、自分の修行のために開発したに過ぎませんでした。
私は自分の身体を持って、喜びの気持ちで経を創ったのです。
私だけの功法であってはいけないと思っているので、これを黙認しました。
洗随経や易筋経は叶うことはありませんでした。