神仏との出会い

動物の肉を喰らうと、

自分は無碍に食べられたくはないという強いマイナスの意識を喰らうことになります。

そうすると、精神的な乱れが生じます。

私は、只ひたすら座っているだけですから、

何の乱れも無いように見えて、少々の乱れは座り続けることを苦痛にします。

もちろん、たいした乱れではありません。

多くの者が、肉を食らっても平気なのですから、たいした乱れは生じませんが、

ちょっとしたことも気になる、大きな変化の無い座り続ける毎日の私には、

その猛獣の顔があまりにも恐ろしくて、嫌だなと思い続けていました。

しかし、嫌なのは向こうなのです。

向こうの猛獣も、食べられて嫌だと思っています。

そして、私もこの顔が目の前に出てきては、とても嫌なのです。

そういうことです。

まったく肉を食べないでいると、

穏やかで安らかな修練を続けることができました。

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神仏との出会い

訪中している間、達磨大師の神が、何度も何度もしきりに

「肉を食うな。肉はいけない。沢山食べるな。」

と繰り返されました。

どうして肉がいけないか、食べ過ぎてはいけないのかを問うてみました。

達磨です。

肉はどうしていけないのか?

様々な意見が ありますが、私はこう思うのです。

何年も、ただひたすら修練をしていたときのことです。

弟子が肉を運んできたので、致し方なく食べたのですが、

そうすると、この肉の嫌な顔が目の前に出てきました。

私が食べたのは、猛獣の肉でしたから、

その顔が目の前に現れました。

そして、私に語りかけるのです。

「喰われたくなかった、喰われたくない。」と・・・・。


つまり、猛獣の肉などは、意志をもっているのです。

「もっと生きたかった。なのに、殺されてしまった。おまえには喰われたくは無い。」

、語りかけてくるのです。

そういう話をするのです。

肉には、生きていたときの意識があり、意識は無形のものです。

その無形のものは、影響は及ぼさないのが通常ではありますが、

猛獣たちの細胞の一つ一つには意識があって、

自分の骨肉を食べられたくは無いという意識を持っているのです。

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神仏との出会い

易筋経とは

易とは、交易というように、行き交うようにするということだから、

筋肉中の流れを良くする、血脈をよくして、流れを良くするということで、

達磨さんは、物質的なところから始まったのだけれども、

筋肉、骨の両方を緩めて流す実践している内に、

それだけでは駄目で、無形の気の流れを良くしなければならないということに気がついて、

そこのところも同時にうごかしていたということですか?(増田の考え)

骨が痛いので、骨を動かしても治らず、骨やその血肉を動かしても治らず、

それではどこを動かすと良かったのかというと、気持ちを動かすと気が動いて、

血肉も軟らかくなることが発見されました。

ですから、肉体を和らげるのは、まず物質的な血肉を動かすだけでは出来なくて、

気を使うことが極めて有効であると判りました。

わたしは、動くこと、立ち上がることをしないで、

ひたすら座り続けたので、見つけ出し得たことだろうと思っています。

(増田の意見)

20年前より、私が提唱してきた

「意(i)が動くと、気(ki)が動き、その結果、血(chi=物質としての肉体)が動く」 

という事が、実証された思いです。 


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神仏との出会い

## 達磨さんは、洗随経で、直接的に脊髄の、

その中の随を洗ってキレイにしていこうと思ったのか、

それとも私が清昇濁降の中で行っている、無形の中脈に三元を通すことによって、

その波及効果として、脊髄をキレイにしていこうとしたのか、どちらですか?

私が座り続けて修練をしたときに、尻が痛くなって、足も痛くなった。

座り続けて修練を続けるには、尻も足も痛くないようにしたい。

その時に、まず骨を緩めた。

ところが、骨だけでは緩まないので、さらに筋肉を緩めた。

それらのことを、順に二つに分けただけのことで、元は一つのことです。

痛かったので骨を緩めた。

しかし骨だけを緩めても、筋肉が緩まないと骨も緩まない。 

筋肉を緩めるためには、気の巡りが良くないと、血の巡りも良くならない。

そうした経過で、発見されたことに過ぎません。

あなた方が、中脈に着目していることは、元極功法の特徴的なことであって、

極めてすばらしいと思います。

しかし、私は当時そのことに気がつきませんでした。

(増田の考え)洗随とは、背骨の中を通っている随をキレイにして、

骨の動きを良くしようと考えた名前だったのであろう。




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神仏との出会い

## 易筋経を清昇濁降に作用させたとき、効能はどうなるのか?

増田はもう既に受け取っていて判っているから、

私が細川に答えると、細川が受け取る言葉はとんでもない幼稚な表現になるので、

あえて詳しくは伝えません。

(通常、神に問いかけるのは増田、その回答を受け取り聞くのは細川が担当しています。

細川が受け取り不能の時のみ、増田が受け取ります。)

ひとつは、ゆるくなる。

骨を通じて、骨の関節と関節を通じて、身体の動きが柔らかくなり、ゆるくなります。

これは清昇濁降の作用と、あなたが別に開発した免疫の功法との相乗効果が、

関節をゆるくする点で期待できると思います。

しかし、脊髄はとても動きにくい。

もちろん内臓の影響も受けてはいますから無理からぬこともありますが、動きにくいところなのです。

この脊髄は立ち姿の土台として、よりよい形態にする為、

修練を繰り返して動かす功法なので、貴男の意図しているところも、

より緩めることで、もっと期待できる結果が生まれることになります。

洗随経をしても関節は柔らかくなる、易筋経を加えて、さらに柔らかくなる。

まあ、こうした事ですから、これらは相乗効果があります。

別々に経が存在してはいますが、どちらも身体の柔らかさを作っているのです。

身体の関節部分の可動域を拡げています。

それが、身体の免疫力も強化することに繋がっています。

座っていて少しも動かさないのだけれども、身体の動きも内面も鍛えていく経なのです。

別々でありながら、ひとつの目的に達するものです。


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日本と中国

何処の国にも良い人も変な人もそれぞれ存在します。

それでも国の平均的なレベルとして、良い人の比率の高低があります。

日本も中国もそうした事の改善をそれぞれが努力すれば良いのであって、

相手の悪い所の突き合いや、自己の利益のみを考えた行動を慎めば良いのです。

私が二十年以上お付き合いさせて戴いているきく先生や、おう社長は、

相手の為にどうして上げられるか、何時も考えて行動して下さっています。

一昨年、日本に来て戴いた時にも「増田の手伝いをする。」ということで、

報酬を考えず、お忙しい中、二週間以上も予定を組んで下さいました。

勿論、そんな訳にはいきませんから、些少ではありますがお支払いはさせて戴きましたが・・・・・。

今回私の訪中にあたっても、

おうさんは、社長という忙しい地位に在りながら、10日間も一緒に行動して下さいました。

また、きく先生は、私が湖北省の風習を知らないだろうからと、

総て手弁当で事前に大連から湖北省まで、

地元の方に総て取りしきってくれるようお願いに行って下さいました。

彼等が、元極に関係しているから良い人だとも言えませんし、

日本にだって悪い事をするものはいくらでも居ます。

例えば、新大久保でヘイトスピーチをするような人々や、

現状に問題は有るとは言え、沖縄の米軍兵士の子供達に「ファック・ユー」と平気で言える者達だって居るのです。

ですから、お互い尊敬し合い、自らを律して、お付き合いをさせて戴けば、

何処の国とでも仲良くなれるのだと思います。

自国だけの利益や、経済の発展のみを優先すべきではないでしょう。

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