神仏との出会い

達磨大師の神へ

先般、チベット仏教の高僧で活仏(仏、菩薩、聖僧などの転生者)と

言われる方が来日されました。

この方は達磨大師の生き代わりと言われていますので、

直接達磨大師の神に、それが本当なのか、お聞きしてみました。

「達磨大師の神の生まれ代わりや、ダライラマの生まれ変わりという人々が、

チベット密教にて認定されて生存しています。

これは、どういうことでしょうか?」

出鱈目な伝説を鵜呑みにして、作り上げられた虚構です。

全くの嘘です。

そのことを、ますだは既に分かっているでしょう。

これらの出来事は、伝説に過ぎません。

作り上げた話です。

私の名を騙り(かたり)、または著名な者たちの名を騙り、

その者に仕立て上げて祭り上げ、その行いを褒め称えて有名にする。 

有名人に仕立て上げられたその者が話したことや、

その者の行いによって、世の中が動いていくことを良かれと思っている者がいます。

所謂(いわゆる)でっち上げによって、

人々が騒ぎ立てれば、それは最早(もはや)真実だと、

多数決の論理が働くのです。 

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中国

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神仏との出会い

すでにもう、身体は食べ物を受け付けつけることを嫌がっているのです。

それでもなお、食べたくなる欲を、人は持つものですが、

これを止めて、本来の素食な食事に戻して、

細胞が震えるほどの喜びを、あなた方は感じながら頂きなさい。

そして更に、身体が発している信号をよく聞いて、

その信号の元に美味しかったという身体の喜びを言葉で伝えてやれば、

身体の細胞一つ一つは、また喜んで、

心や身体に喜びを返していくという良い循環を作ります。

極めて重要な食力です。

身体が喜びを持って受け取れるように、

食事を少なくして、喜びを持って頂くことです。

なにも栄養が有るとか無いとかは、それほど大きな問題ではありません。  

修練によって、無形の三元エネルギーを常日頃から取り入れていれば、

栄養学は無用の物となります。

そして、世界の食糧は充分すぎるほど有り余り、

飢える者も居なくなるでしょう。

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中国

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神仏との出会い

二日か三日に一回、

少々のかゆと素菜(動物性タンパクのない惣(そう)菜(ざい))を、

私はいただきました。

それを一口食べれば、全身の細胞が震えて、

やってきた食べ物を喜んで受け入れようとする身体の細胞の準備の声が聞こえました。

そして、一口食べようものなら、

震えるように吸収していく、そのすばらしさを感じました。

食べ物というものは、こうやって心にしみ渡り、

身体にしみ渡るようにして食べるのが本意であり、

美味しいからといって食べ過ぎたり、何でもかんでも食べたり、

たくさん食べ過ぎたりすることを、身体の細胞が嫌がっている様子を、

あなたは聞くことが出来るでしょう。

食べ物は、身体に活を与えるので、

身体の要求に沿って食べることです。

すなわち、身体の要求の声を聞くことです。

何を食べたいかではありません。

聞くというのは、身体の細胞の声を聞くのです。

私は、なにも蟻の声を聞いたのではアリませんよ。

伝承によりますと、達磨大師は面壁修練の最中、

少室山の麓の蟻の争いの声が雷のごとく聞こえたということです。

身体の細胞の喜びや、悲しみ、苦痛の声を、

耳を研ぎ澄ませて聞くのです。

もちろん、自然の恵みに感謝して生きるとは、

周りに活かされて生きるのですから、

周りの声を常に聞きながら生きるということです。

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中国

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神仏との出会い

また、もっと沢山食べたいという要求を持つときには、

肉を喰らいたいということが要求の基本になってきます。 

小食で満足するためには、よく噛むことと、

食べる物が美味しいと思うこと、食べることの喜びを感じること、

食べる物がこれほどにも美味しいと感謝すること。

それらの思いと同時に食べなければ、

身体が食べ物を喜んで消化しないので、これは害になります。

常に食べることを喜んで、慈しんで、

「いただきます」と挨拶をして、

「なんと美味しかったことか!」と喜んで、

「ごちそうさま」という気持ちを持つことです。

形骸的な挨拶をするのではなく、気持ちを込めて挨拶をすると、

食べたことの喜びが一層増すように、

人の精神は構成されています。

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中国

神仏との出会い

動物たちが、無形の意識を持っているということは事実です。

その無形の意識を食らうということは、相手の嫌な意識を食らうということであり、

あまり気持ちの良いことではありません。

ですから、あなた方が疾(と)うに経験している波動の荒い肉を食べたときには、

肉体が受け付けないという肉体上の問題もありますが、

無形の嫌な意識を食らうということこそ大きなトラブルになりうるのです。

集中して、心穏やかに事を運びたいのであれば、

肉を食べることを止めることで、

精神的に穏やかで、集中力が叶うこととなります。

肉体上のトラブルの解決策は、あなたの功法に譲りますが、

この肉を食べることで精神的な問題を発生させることは、

私が経験してきたことだったので、お話をしました。 

植物にも意識はあります。

それなら、何故動物は食べない方が良くて、

植物なら食べても良いのか?

植物というのは、食べられることによって成就するということが有ります。

たとえば動物に食べられてこそ、次に生命を繋ぐこともあるからです。

実と種子を一緒に食べてもらい、他の場所に運ばれて、

糞と共に排出されて、そこで子孫を増やす。

ですから、そういう意味で、マイナスの意思は弱いといえます。

寧ろプラスの意思と言っても良いでしょう。

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人体について

2014/02/16たけのこさんのブログは、点滴のお話でした。

私は、17,8年前から点滴について思っている事があります。

それは、点滴液の温度の事です。

点滴の薬剤については、また別の思いもありますが、

その前に薬剤の温度について、

何故何の考慮もされず実施しているのか、大いに疑問の念が有ります。

夏を除けば、気温はそれよりも下になります。
勿論、液温も同様です。

体温よりも低い温度の物を身体の中に入れれば、体温は下がる事になります。
一般に、発熱している場合を除き、
体力の無い者、体調の悪い者ほど体温は低いものです。
点滴を打つ必要の有る者達は、そういった類に属す訳です。

その体温の低い者達に、更に体温が低くなるような事をしてどうするのか、
何故体温まで暖めてから入れないのか?

中国では、民間でも、永く冷たいものを取る習慣はありませんでした。
ビールでさえも、室温で飲んでいたのです。
(私も何回か、我慢しながら室温のチンタオ・ビールを飲んだ覚えがあります。)
中華元極功法でも、特に「子の刻」に身体を冷やす物の飲食を戒めています。

以前、ある病院の院長さんに話してみた事がありますが、ぜんぜん興味無しでした。
どこかの病院で、常温点滴と、体温まで液剤を暖めた点滴の効果の違いを、
試してくれないかと思っています。

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