言われる方が来日されました。
この方は達磨大師の生き代わりと言われていますので、
直接達磨大師の神に、それが本当なのか、お聞きしてみました。
チベット密教にて認定されて生存しています。
これは、どういうことでしょうか?」
全くの嘘です。
作り上げた話です。
その者に仕立て上げて祭り上げ、その行いを褒め称えて有名にする。
その者の行いによって、世の中が動いていくことを良かれと思っている者がいます。
人々が騒ぎ立てれば、それは最早(もはや)真実だと、
多数決の論理が働く
のです。日之本元極によって開発される数々の潜在能力、功法の原理など
言われる方が来日されました。
この方は達磨大師の生き代わりと言われていますので、
直接達磨大師の神に、それが本当なのか、お聞きしてみました。
チベット密教にて認定されて生存しています。
これは、どういうことでしょうか?」
全くの嘘です。
作り上げた話です。
その者に仕立て上げて祭り上げ、その行いを褒め称えて有名にする。
その者の行いによって、世の中が動いていくことを良かれと思っている者がいます。
人々が騒ぎ立てれば、それは最早(もはや)真実だと、
多数決の論理が働く
のです。
それでもなお、食べたくなる欲を、人は持つものですが、
これを止めて、本来の素食な食事に戻して、
細胞が震えるほどの喜びを、あなた方は感じながら頂きなさい。
そして更に、身体が発している信号をよく聞いて、
その信号の元に美味しかったという身体の喜びを言葉で伝えてやれば、
身体の細胞一つ一つは、また喜んで、
心や身体に喜びを返していくという良い循環を作ります。
身体が喜びを持って受け取れるように、
食事を少なくして、喜びを持って頂くことです。
なにも栄養が有るとか無いとかは、それほど大きな問題ではありません。
栄養学は無用の物となります。
飢える者も居なくなるでしょう。
少々のかゆと素菜(動物性タンパクのない惣(そう)菜(ざい))を、
私はいただきました。
やってきた食べ物を喜んで受け入れようとする身体の細胞の準備の声が聞こえました。
そして、一口食べようものなら、
震えるように吸収していく、そのすばらしさを感じました。
身体にしみ渡るようにして食べるのが本意であり、
美味しいからといって食べ過ぎたり、何でもかんでも食べたり、
たくさん食べ過ぎたりすることを、身体の細胞が嫌がっている様子を、
あなたは聞くことが出来るでしょう。
身体の要求に沿って食べることです。
少室山の麓の蟻の争いの声が雷のごとく聞こえたということです。
)
耳を研ぎ澄ませて聞くのです。
周りに活かされて生きるのですから、
周りの声を常に聞きながら生きるということです。
肉を喰らいたいということが要求の基本になってきます。
食べる物が美味しいと思うこと、食べることの喜びを感じること、
食べる物がこれほどにも美味しいと感謝すること。
それらの思いと同時に食べなければ、
身体が食べ物を喜んで消化しないので、これは害になります。
「いただきます」と挨拶をして、
「なんと美味しかったことか!」と喜んで、
「ごちそうさま」という気持ちを持つことです。
食べたことの喜びが一層増すように、
人の精神は構成されています。
あまり気持ちの良いことではありません。
ですから、あなた方が疾(と)うに経験している波動の荒い肉を食べたときには、
肉体が受け付けないという肉体上の問題もありますが、
無形の嫌な意識を食らうということこそ大きなトラブルになりうるのです。
肉を食べることを止めることで、
精神的に穏やかで、集中力が叶うこととなります。
この肉を食べることで精神的な問題を発生させることは、
私が経験してきたことだったので、お話をしました。
植物なら食べても良いのか?
糞と共に排出されて、そこで子孫を増やす。
寧ろプラスの意思と言っても良いでしょう。
その前に薬剤の温度について、
何故何の考慮もされず実施しているのか、大いに疑問の念が有ります。