社会常識の罠


「青い鳥」のブログに、辺見庸氏のことが書かれている。
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彼は石巻出身で、三年前からの震災報道や対応について、

聞き心地の良い言葉だけでの報道に違和感を覚え、

「悲劇にあって人を救うのはうわべの優しさではない。

悲劇の本質にみあう、深みを持つ言葉だけだ。

それを今も探している」

と言っている。


探さないよりは、探した方が良いけれども、めくらの手探りのようなものだよなあ。

「めくら」と書くと、「めくら」たてる人が居ると思いますが、
差別している訳ではありません。

伝統的な語彙を使っているだけです。

「めくら」や「つんぼ」の言い換えも、耳障りだと思い込んで、その結果の言葉の排斥によって、

薄っぺらい、うわべの優しさで誤魔化しているに過ぎません。)


僕は、

「悲劇にあって人を救うのはうわべの優しさではない。

悲劇の本質に通ずる行動は、精妙な響きを持つ言霊だけから起こることが判っている。

その言霊は、修練の蓄積と養徳から生まれる。」

のように書き換えて頂くよう、要望したい。


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神仏との出会い


あなたがたが来てくださったことで、多くの掌門人達に付随する者達が、幸せになりました。

大喜びをしています。

爆竹が鳴り、花火が上がり、くす玉が割れて、大騒ぎをしています。

これによって、あなた方の功法が、奥深く幅広くなり、

さまざまな秘密等が追加されて、より精妙でありながら、精密な功法に仕上がっていきます。

これらを受け取って帰ってください。


太一道を起こした私(簫抱珍:しょうほうちん)が、話をします。

我々は、太一道から 元極道 → 元極学 の神々一同です。


あなたがたが来られたことで、われわれ一同は神上がったのです。

一緒に神降り立ちて、日本の新宮で働きます。


日之本元極が大きく拡がることを願って、一緒に働きます。

あなたが我々に指示くだされば、功法の効力が上がるように、

我々が相談して働きます。

よき幸せがくることを、願っています。


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健康

3/1 朝日新聞の記事です。

1枚目、2枚目で全文です。

3枚目は、図の部分の拡大。

注目すべきは、別の部屋で吸っても、子供の尿中のニコチン濃度が、10.3倍もある事です。

ベランダで吸っても、2.4倍です。

現在、日本のレストラン、喫茶店の殆どは、分煙といって部屋を別けています。

チャンとドアを設けて別の部屋にしている所もありますが、それでも効果無しという結果です。

しかも、そうしたお店の多くは、同じ部屋の中で席を別けているだけのことが多いのです。

全く無意味で、ただ「やってます。」というポーズにしかならないでしょう。

法律作って、政府主導でやらないと駄目ですね。

僕たち修練者は、煙草を吸う習慣のある人が、近くを通っただけで、

「この人は煙草を吸う人だな。」と、判りますが、

たぶん、身体に着いている煙の成分や、肺の中の成分を無意識に感じるのでしょう。

感じるのだから、影響があるのは当たり前の事です。

修練をしていない、感覚の鈍っている現代人は、知らないうちに、その影響を受け病気に近づいていくだけです。


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神仏との出会い


中国河南省衛輝市比干廟に来ています。

太一道代々の掌門人の名前が彫られている碑を見つけようとしていたが、見つからない。

なんせ10万平米の広さの中に何百という碑が点在するのだから、

並大抵の事ではありません。

そうこうしていると、神が少し休めと言われます。

ゆったりと腰を掛けると、神からのお話がありました。

*******


くす玉が割れました。

ここで、あなたがたを歓迎して迎えています。

増田に伝えることがあります。

最後の最後の砦のような力を、あなたに渡すことになります。

あなたの功法が結実して、世界の地上全体を揺り動かすことになります。

我々は、仕組まれたこのときを待っていました。


そして、最後の砦のような力、

これまでの長い時間、歴史が生み出し細かく伝えてきた、

真髄以外の微々細々の事々などを、ここで受け取っていってください。

石碑を探すことはありません。

この地の随所に、先人達の隠されたことがらが、根ざしています。

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神仏との出会い

華佗の神より

私が、あなたに差し出している力は、人の心の様子を感じることが出来る力です。

もちろん、既に人の身体を感じたり、人の精神の乱れを感じる事は出来ているのですが、

もっと早く人の心の様子を感じることが出来れば、

更に素早く的確に苛立ちを消すことが出来ると思います。

精神的なトラブルのことを、意味しているのではありません。

相手との距離を測ることが出来る力です。

本日の、58代の彼との面接も、彼の心を感じることが出来たのであれば、

もっと早く切り上げて帰ることも出来たでしょう。

もちろん、異国の地で、言葉もわからず、

そうして早く帰ることが出来なかったということは、承知しています。

相手をコントロールして、自分の思い通りにする力を、

私は差し出しています。

有り難く、頂戴して参りました。

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神仏との出会い

華佗の作った功法といいながら、現代に残るのは、動きを真似ただけの動作です。

内面的な気の動きは、何一つ動かされてはいません。

それは簡単な気を動かすという思いを、あなたのように、

訣にして伝えることが上手く出来なかったのです。

ですから、私はただただ念じて、気が動くように思いながら動作をしていました。

気持ちが動くと、気が動くのです。それを、私は心地よく繰り返していました。

それを多くの者たちは、動作を真似することは出来ても、

気を動かすことを真似ることが出来なかったのです。

そのために、結果的に私だけの五禽戲になってしまったようです。

それでも、ある代までは、ほんの少しでも動きに乗じて気が動いていたのですが、

それは現代までは続きませんでした。

あなたが創った功法のように、簡単な言葉で多くの者達が伝授されて、

受け取って修練をするならば、どんなに能力がない者達でも、

そのことが可能になるという点で、あなたの功法はとても優れています。

私の作った五禽戲の、念に動じて気が動くという点を取り入れた、

あなたの功法が、
どうか今後、発展しますことを期待しております。


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神仏との出会い

五禽戲は、どういう気の流れをしていますか?

それは、もう見ただけで分かると思います。

あの動きの中で、気を動かそうとしただけのことです。

健身術として、鳥のように羽ばたき、熊のように力強く、虎のように早く走れる。

そういう動きがしたいので、私が、健身術として取り入れただけのことです。

その中でも、とりわけ鳥の動きというのは、肩関節などを大きく動かし、

その他の動物たちは、股関節を大きく動かす。

大きな関節を動かすことで、健康を保とうとしています。

当時の私には、詳しいことは分からなかったのですが、

この関節こそが、免疫の大事な要であると、体験的に私は知っていたのだと思います。

更に肩から肩甲骨、肋骨をも含めたこれらの部分の、

横隔膜を伸びやかに動かす動きは、免疫力を高めるためにも、

極めて重要だったと思います。

ただし、ここで大事なことは、気持ちを持って動かす。

念じて動かす。

念を入れて動かす。

そして念じて動くと、気が同調する。

そのことが、同時に行われていなくてはなりません。

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神仏との出会い

華佗の神は、現・伝人について、随分辛口なコメントを伝えてくれました。

傲慢で執着の強い彼(五禽戲58代掌門人・周金鐘さん)は、

伝統の意味を少々はき違えています。

伝統というのは、言葉で受け取るものではなく、

身を以て範を示し、行いを持って受け継いでいくものであるにもかかわらず、

言葉でのみ、表面的な動きでのみ、受け取ろうとしています。

言葉だけの伝授をしていますから、極めて残念な功法になってしまいました。

彼の前代(五禽戲57代掌門人董文煥さん・92歳にて没)までの者たちは、

まだ不十分ながらも懸命に後世に残す気持ちで伝えようとしていましたが、

彼の代になって、今では言葉だけで表面的な動きだけで受け取ることに特化されて、

それが消え失せてしまっています。

体操として、気の流れを良くするための功法としては優秀な功法ですから、

これはこれで良しとして、活動をしてもらうことにしています。

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神仏との出会い

華佗の神より、五禽戲の説明がありました。

この功法は、気を流す功法です。

気を取り入れる功法ではありません。

それを目的にしている功法では無く、気を流して経脈を通していく功法です。

しかし気を取り入れて、気を流すことをしなければ、

めぐる経脈も流れることは出来ませんから、

取り入れながら気を巡らすことを、本来は当然しているのです。

しかし、彼(五禽戲58代掌門人・周金鐘さん)には、それが出来ていません。

もう一人の彼については(五禽戲記念館の館長さん、周さんの横で一切口を出さず、我々の写真を撮っていました)

まじめにこつこつと、修練をしていて良く気が巡っています。

そしてまた、下丹田、下黄庭あたりに、すこしの気の集まりがあります。

しかし、功法の真髄を与えられてはいないので、

未完成のままに修練をしていることが、とても残念なことです。

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神社・仏閣

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