日之本元極功法

骨には、血液を作る働きがあります。

血液をよく循環させ、血液で骨を作って活性化し、骨で血液を作る。

元気になった骨で、赤血球等の血液の細胞を作るわけです。

けれど、その骨を、きちっと活性化するというか、

維持するためには、血液をそこに循環させなくていけない。

つまり、骨と血液というのは、相互作用があるのです。

洗髄経によって骨の状態を清浄に保ち、

血液を循環させた後、筋力のトレーニングを図りました。

易筋経により活力を与え、健康に保つ。

骨ばかりではなく、筋肉、腱、筋に至るまで、

よくよく気のエネルギーを流し、そして、活力を得た健康な血液を、

気のエネルギーをもって巡らせ、流していきました。

常に、病となるべき要素を取り除くのです。

巡らせて、取り除く作業を、意念の力によって実現し、

わたくしは健康を維持しました。

易筋経により、筋の力を最大限に生かすべく、

常に新しい血液を送り込み、悪いモノを取り除く、

体力の活性化を、常時心掛けて、エネルギーを巡らせたのです。

日之本元極功法

これから私が、洗髄経と易筋経の極意について、お話し申し上げます。

私は、洗髄経を考案した後、易筋経を創り上げ、

体力の維持に努めました。

洗髄経によって、易筋経が出来上がった経緯を、お話しています。

洗髄経によって、骨の隅々に、気のエネルギーを行き渡らせたものの、

取り巻く筋肉の委縮を取り除かなければ、全ては上手くいきません。

どちらかが完全に先に出来たのではありません。

易筋経を完成に近づけながら、洗髄経も進展させていったのです。

洗髄経によって、筋肉をほぐす力を優先し、

易筋経を完成しながら、洗髄経を創り上げていきました。

洗髄経は髄のなかに気を通し、

エネルギーの力で同じ姿勢によって渋滞する血液を流し、

骨を清浄に保とうとしたのが、その役割でした。

洗髄経によって、骨に活力を与え、

健康な骨の状態を保ち続けたのです。


宮本武蔵が描いた達磨大師

若い頃の達磨大師を描いてみました。

日之本元極功法

皆さんが「だるま」とお聞きになって、

思い浮かべるのは、置物のダルマでしょう。

それは、赤い衣装を身にまとい、永年修行したという事だけで、

後世の人々が、わたくしの姿を創り上げ、その姿が、

世の中に知れ渡ったものだと、お伝えしておきます。

修練する私のその姿を実際目にすることのなかった人々によって、

手足は腐るであろうという自分たちだけの常識で、

現在巷で売られているような、

手も足も無い「ダルマの置物」のような姿が形作られてしまいました。

わたくしの体は、世の中の人々に知られているような形でなく、

筋骨隆々の、逞しい体を、修練によって創り上げました。

修練といっても、全く身体を動かす訳では無く、

只ひたすら座って、想念を巡らすだけのもの、

いわゆる座禅をしていただけです。

身体を動かす事無く、それで何故、

筋骨隆々の身体を創り上げる事が出来るのか、

まず、わたくしの体の維持の仕方について、お話しましょう。

それは全て、これまでにもお話ししてきました

易筋経と洗髄経という功法を創り上げた事にあります。

易筋経と洗髄経を編み出した後の私の体は、

健康に恵まれ、体力・気力・肉体を最高の状態に維持し続けて、

修行に励む事が出来ました。

以下の絵は、ババタヌキが修練中、その到らぬ修練を修正する為、

現れた達磨大師の神の姿を、聞いて増田が描いたものです。

日之本元極功法

神が私に直接伝えることをしない、

私が考えた
理由の二項目に上げたように、

直接聞くことは指図されているようで、

自分の意思で生きることを否定される気がして、

確認の意味で聞く時を除き、あまりしてきませんでした。

今まで、伝えて下さる方々には感謝しながらも、

あまり積極的に自分では聞くこともせず(勝手に聞かされる場合を除いて)、

過ごしてきたのです。

今年(2014年)一月、

中国河南省鄭州(ていしゅう)、嵩山(すうざん)少林寺達磨洞を訪れた時、

達磨大師の神より「洗髄経」「易筋経」の力を授けられ、

いろいろ教えて頂きました。

その事は、いくつか当ブログにも書かせて頂きましたが、

頂いたお力を使い、功法に反映した所、

皆さんからも大きな効果の御言葉を多数戴きました。

そこで今回は、それらの力を反映した功法について、

もう少し詳しく、直接達磨大師の神よりお聞きしたことを、

皆さんにもお伝えしたいと思います。

中国

日之本元極功法

そのうち私も、それらの人達のうち限られた人・数人も、

あたかも会話をするように、自分の魂や、神仏とやり取りできるように、

聞き取りが可能になってきました。

とはいえ、人によって聞き取り方法はいろいろで、

ア、前述のように、意識の中に自分で考えたように、他人の意識が入り込んでくる。

イ、耳で聞いたように、聞こえてくる。

ウ、理由は分からないが、どうしてもそうしなければいけないような気分になってくる。

エ、視界の中に、本を読んでいるように、文字が次々と見えてくる。

オ、自動書記(自分の意思とは関係なく、勝手に手が動いて、

  文章や図柄などを書く)で、伝えられる。

カ、一瞬で、伝えられようとする内容を理解する。

等々があります。

何故、私に直接伝えないで、人を介して伝えるのかは、

自分なりに考えてみると、

1.直接だけだと、自分が狂ったとその内容を疑ってしまう。

2.私が、直接聞くことを極端に嫌っている。

3.そうした役割を他の人々に与えることで、その人達をも救おうとしている。

4.元極功法が、神仏から与えられた特別な功法であることを知らしめる為。

5.複数の人に聞かせることにより、間違いを無くす。

などが思い当たります。

日之本元極功法

私が元極功法を修練し始めてから半年を超えた頃からでしたでしょうか、

自分の考えている脳の領域に、

時々何者かの意識が入り込んでくるようになりました。

それは自分で考えたのか、他人の意識が侵入してきたのか、

判別が非常に難しいものでしたが、

今まで考えたこともない範疇の事柄だったり、

自分では決して使うことのない言葉使いだったりするので、

当初から判別が出来ました。

例えば、夜中熟睡中に、突然

「108体の観音様がお入りになります。」

と、聞こえた次の瞬間、全身あらゆる所に、ボコボコボコと、

体内に何かが入ってくる感触があったりしました。

熟睡していたのに完全に目が覚めて、

暫くは目が冴えて眠れませんでした。

それまで、無神論者で観音様はおろか、神仏のことなど、

殆ど考えたこともない私が、夜中にそんな夢を見る訳もなく、

「何なんだ、一体これは・・・・?」

と、自問し続けたものでした。

そして、暫くすると私の周りに突然同じように外部からの声が聞こえ、

「増田に伝えろ!」

と、頻繁に伝言を携えられる者ものが次から次へと現れてきました。

それから二十年以上で、ほぼ二十人ほどは居ると思いますが、

そうした役割の方々が、私にいろいろなことを伝え続けて下さっています。

(その中の半分以上は、その内元極との縁が無くなって、

聞くことも出来なくなっています。)