形示し

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日之本元極功法

気絶神倉温熱鍼法の意外な効果

気絶神倉温熱鍼法を施術すると、

もう一つ、女性や中年の人々が喜ぶ好ましい効果が現れます。

この功法を施術すると、甲状腺機能が調整されます。

そうすると脂肪が付きにくくなります。

中年太りで脂肪が付くというのは、

この甲状腺を含む代謝機能が悪いからです。

これが調整されて、更に気が充満すれば、

新しい細胞が作り出され、若返ります。


もっとも、施術し、甲状腺機能が改善されて代謝が良くなり、

その後脂肪が付きにくくなるのですから、

今日施術して、明日・明後日に痩せると期待しても無理な話です。

この功法は、まだ開発されて間もなく、

10数名の方々のみの結果を観察しながら、書き下ろしたり、

その原因・状態を神にお聞きしながら書き加えている状態です。

原理からして、まだまだ広範な病気に対応・効能が発現するでしょうが、

施術母数が少なすぎます。

今後の展開にご期待下さい。(取り敢えず、完)

神呪寺(かんのうじ):兵庫県西宮市甲山

日之本元極功法

膠原病の人の背中 4

代表的な膠原病患者の状態では、

肺が片面だけ、殆ど使われていない事などがよくあります。

機能していないほどに萎縮してしまいます。

萎縮すると同時に固く、細胞が硬化して、肥厚し増殖するのです。

癌細胞が正常細胞を癌化させていくような増殖ではなく、

萎縮して固くなった細胞が、表面を肥厚させ、増殖する。

それはまるで、仲間を外には出さず、

閉じ込めて、この塊を増やしていくかのようです。

細胞は増すものの、細胞そのものは萎縮していくので、

その部分には気が流れていません。

その結果、筋肉がまるで無いような背中になって、

へこんでしまうのです。


神呪寺(かんのうじ):兵庫県西宮市甲山

日之本元極功法

膠原病の人の背中 3

神は続けます。

結合識の異常です。

胸腺の異常があり、甲状腺も悪くなります。

肺が免疫力を発達させて、

リンパ球などが充分に機能させることが出来るのは

胸腺や甲状腺の働きが協調して働く時に、

身体の成長と共に免疫機能が発達するのです。

その肺が発達しきれず、老化のスイッチが入ったとたん、

細胞の萎縮が急激に始まるのです。

ブログ

膠原病の人の背中 2

甲状腺、胸腺異常 ーー> 肺の後ろ側の異常増殖 

   ーー> 背中側の気の流れ悪化 ーー> 背筋の未発達

上のように作用するのですか?

大体は合っていますが、詳細が違います。

膠原病の患者達の気の流れを見てみなさい。

一般論を聞いています。

一般的な膠原病の人々の筋肉が、

背中で少ないのはどうしてですか?

気の流れが悪いからです。

督脈部分の気の流れが悪い。

それは、直接的には肺の働きが悪いからです。

その端を発しているのは、胸腺の未熟性です。

充分に機能しないが為に肺の免疫力が発達せずに、

肺全体の機能そのものも発達しない。

胸腺は、肺の免疫機能を発達させる役割を持っている

監視係・指令係なのです。

生き方

目新しいことが、自分の視野を広げて、自分にとってプラスになります。

そうした場合には、必ず努力することが伴うのです。

努力をすれば、新しい事象への挑戦は、

必ず自分のものとなり、獲得したことはプラスになります。

しかし、分野が新しくなることは、負担も多いものです。

その負担から逃れる為に、次々と新しいことに勝手な想像を巡らせて、

希望を見いだそうと期待するのは、単なる悪い癖です。

どんな状況でも、びくともしないで、

我慢し努力して自分の力と化していくことこそが、

自己の成長に繋がるものであり、

現状から脱する為に次々と仕事を変えたり、興味の対象を移すことをしていては、

何事も成就することはありません。

然るに、修練者の中で、

そのように移り気に何かをやってみたいというならば、やってみるが宜しい。

その場面で、自分にはどんな努力が出来るのか?

決して逃げ出さず、懸命に努力するならば、

必ず力になります。

何をしても、どんな仕事でも、良いかどうかは、

全て自分の努力の成果と言えるのですから、

常に人の為に尽くせるように自己が成長することしか有りません。

身体は老い、体力はいずれ失われていきます。

その身体の能力の老化は、神々とて、人に対して止めることはしません。

修練によって身体の機能を高め、精神の充実を図りながら、

自己を成長させるのが、修練者として神の道を歩く者にとって、

第一に選択しなければならない道なのです。

その道を選べた者こそ、真のチャンスが与えられるのです。

イバラの心で、イバラの道を歩くのを止め、

柔らかで清々しい心で、神の示す道を、

縁ある者と共に歩くことを求めて行きなさい。