人の波動について 3
全体的に、自分の波動に近く、より精妙なものに
本人が心地よいと思う波動は、その人ごとに異なるのです。
段階が上がっていくときの心地よさは、
自分の優しさに満足しつつ、
そうした者達にとっての楽しさは、
修練をする時に楽しいと思う者たちの楽しさの中身というのは、
しかれども、あったかくて細やかで、精妙な波動というのは、
それは体の要求も、心の要求もついて来れなければ、
それに自分の波動がついて行けず、
優越感どころか、常に自分の位置は下にあり、
粗い波動の方向に意識が向かっている人の中にも、種類があります。
前述のように、下の者に親切にしてあげて優越感を得る人と、
特に、そうやって怒鳴り散らし、人を見下ろしていたい者達は、
人の波動について 2
もちろん、すべてのものに波動があるわけですから、
それぞれご自身にも固有の波動が存在します。
自分の波動に近い波動のもの(者または物)は、良い感じがします。
自分の波動とはかけ離れて粗い波動の物には、違和感や嫌悪感を感じます。
反対に、自分の波動よりかけ離れて精妙で細かい波動のものにも、
違和感を感じるのです。
そのことについて、理解している人はあまり居ないと言うよりは、ほとんど居ません。
良い波動のものであれば、
いつも誰でも心地よいもんだと思っている人がほとんどです。
ここが自分を成長させていくために、
あるいは修練を継続していくために、大きな落とし穴になるところです。
非常に熱心に講座を受ける、
修練をする、人のために尽くそうと思っているだろう人が、
上の段階の講座を受講した途端、ぱったりと修練を止め、
離れていてくことが往々にしてあります。
こうしたことを目にすると、どうしてだろうと不思議に思い、
自分もやる気を失ってしまう人々もいます。
修練をやった方がいいと思ってはいるが、ちっともできない。
修練舎に行って、修練を頑張っている人たちと交流したいと思うのだが、どうも足が向かない。
突然修練ができなくなった。
上の段階の講座を受講したら、心が重く辛い。
このようなことが出てきたら、危険信号です。
1段階下の錬功に戻り、毎日地道に続けることで、
波動を細かく精妙にする努力を積み重ねるしか方法はありません。
修練を継続していけば、むろん自分の波動は、どんどん精妙に変化していきます。
自身の波動が精妙に為れば為るほど、高尚な生き方が出来るようになるのです。
常に向上心を持って、自らを律し、
心に箍(たが)をはめて生活することは、厳しい事でもあります。
人の波動について 1
修練をすると楽しいと言って、頑張る修練者が居ます。
反対に修練は辛く、一般の修練してない人達と交流している方が、
なぜこのように、人によって正反対の方向に
私は長い経験から、
世の中には結構敏感な方がたくさんいらっしゃって、
「ここは気分が良くないから、場が悪い。」とか、
「あの人と会っていると、気分が悪いから邪気が多い。
のようなことを、感じておっしゃる方がいらっしゃいます。
すべてのものには、それぞれ固有の波動があって、
そうした方は、ちょいちょい見かけるのですが、
なんと人というものは、自己中心的なんでしょうか。
凄いぞ、ジョコビッチ