中国

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言霊


最近、本来の意味と全く逆に使われる言葉がいろいろ見受けられます。

「やばい」などは、若い人たちがよく使いますが、

美味しい、凄い、かわいいなどの良い意味にも使っていますが、

本来は不味い、汚い、酷い等、

不都合な時や具合の悪い時に使うものです。

良くても悪くても、「やばくね?」で済ましてしまう語彙力のなさには、

「やばくねぇ?」と思っちゃいます。

そのほか「ぜんぜん」とかも真逆に使うことを良く耳にします。

若者だけではありません。

政治家がよく使う「粛々と・・・」という言葉は、

もともと詩吟で謡われる

「鞭声粛々、夜河を渡る」に出てくるように、使われるものです。

大軍が夜進軍する時、鞭の音をもたてないように、

静かに河を渡るときを描写したもので、

「静かに」のような本来の意味を、

政治家が頻繁に使って

「周りがなんと言おうとも、ごり押ししてでも、やってしまう。」

というような意味になってしまいました。

安保法案も、国中大騒ぎして「粛々と・・・」国会を通過しました。

日之本元極功法


一つ例をあげましょう。

Kさんについて、人格統合調和法を施術する時、

私はその結果と施術方法を思い浮かべました。

すると神からこんな言葉が降ろされました。


伝えておきたいことは、増田の思い通りに我々は施術をします。

しかし、結果は、人それぞれですから、

増田の思い通りにはならないのです。

1人1人の方法論を追求しないで、

一般的に作用を狙って施術をしてください。

必ず、作用させます。

しかし、結果は、本人が選択をします。


Kの意識図には、きわめて臆病な潜在意識があります。

これが変われば、結果も変わる可能性があります。

しかし、増田の思い通りになるかどうかは、別問題です。


潜在意識が変化することによって、臆病さが取れ、

医療のいう通りの誤った選択をしなくなる可能性もあります。

反対に、堂々となり過ぎて、

修練をしない道を選択する可能性もあるのです。

日之本元極功法


要は、この人格統合調和法を受けた後、

無形の魂からの情報通り直感で動けるか、

言葉や文章にしないと納得して行動できないかで、

日之本元極の修練を続けられるかどうか、

(自分である)顕在意識が残れるかどうか、

決定されるということです。


この人格統合調和法を受けて、

天命に沿った清貧なる生き方が全う出来、

次の世に意識を残せる人も居るでしょう。

また受功して、早々に天命に沿うことが出来ないことを悟り、

次の世に行くことは諦めても、

肉体のある限り己の生きたい生き方が出来るようになる人も居ます。

どちらにしても、精神的な問題を抱え、

どちらも叶えられないで終わるよりは

遙かに良い人生を送ることが出来ることでしょう。

己の顕在意識の生きたいように

以後の半生を生きることができるのですから、

受功することは価値あることではないでしょうか。