神社・仏閣

神仏について


世が下るに従って、人々の不純な思いが祝詞に入り込み、

願い事などを奏上するようになったのではないでしょうか。

そうした背景から考えれば、

祝詞をのりあげる時は、自らがこうなりたいとか、

このようにして欲しいとかというような思いで 宣るのではなく、

純粋に感謝の念だけを届けようとする

行為と思いだけが必要だということです。


大ばばたぬきがすごいのは、祝詞を宣るときに、

何も求めず只ひたすら宣り続けているからです。

なかなかできないことですが、

みなさんも今後はそんな思いで、

祝詞をあげるようにしてください。

そうすれば、自ずからその周りが良い気に溢れるようになるのです。

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神仏について


あくまでも私の意見ですが、

皇命(すめらみこと)とは、その昔の時代に、

神々全てをまとめていらっしゃる幹部集団に属する神のことを、

その様に呼んでいて、初代天皇「天の岩戸天皇」、

二代目「天の香具山天皇」、実際は3代目ですが、

現代的には初代とされている「神武天皇」など、

幹部集団中の神が肉体を持ってこの世を治められた為、

皇命(すめらみこと)と言われていたわけです。

実際には現代的に15代天皇「応神天皇」までが、

神であられた訳ですが、人々は明治時代になる頃まで、

人である天皇を皇命(すめらみこと)とお呼びしていたようです。

回り道をしてしまいましたが、

祝詞の原型は寿詞(よごと)であって、

神々が皇命(すめらみこと)に対して、

ご守護への御礼と忠誠を誓う言葉だったのだと思います。

その後、人々が神に対して、ご守護への御礼を申し上げる言葉を、

祝詞と言うようになったのではないかというのが私の考えです。

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ところで祝詞ってなんでしょう?

神社であげられている祝詞の中にも、いろいろ種類があるようです。

例えば特定の式典であげるように作られている祝詞、

神様に対してお願いをしている祝詞、

ほとんど神様の名前だけを羅列している祝詞、

意味不明な祝詞などです。


神社にお参りするときは願い事をしないように、

常にご守護をいただいている御礼だけを申しあげて来なさいと、

私は常日頃から皆さんにお伝えしています。

もともと祝詞というものは、そういったものではないのかと考えています。

祝詞の中に、寿詞(よごと;寿司ではありません)というものが有ります。

その解説の多くは、天皇に対して忠誠を尽くすことを述べる言葉としています。

それは中臣の寿詞とか、

注:中臣氏(なかとみうじ)は、「中臣」を氏の名とする氏族。
古代の日本において、忌部氏とともに神事・祭祀をつかさどった中央豪族で、
古くから現在の京都市山科区中臣町付近の山階を拠点としていた。
天児屋命(アメノコヤネ)を祖とする。物部氏とともに仏教受容問題で蘇我氏と対立した。
中臣鎌足は645年の大化の改新で活躍し、669年の死に臨んで、藤原姓を賜った。
以後鎌足の子孫は藤原氏を名乗ったが、本系は依然として中臣を称し、
代々神祇官・伊勢神官など神事・祭祀職を世襲した。

天神(あまつかみ)の寿詞という言葉が残っているし、

これらの寿詞が

皇命(すめらみこと)に奏上したと説明する学者がいるからです。

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ばばたぬきのブログに、大ばばたぬきが毎日祝詞をあげていたら、

アパートの他の部屋の人たちが次々と子宝に恵まれ、

「幸せいっぱいアパート」になったと書いてありました。

直接話を聞くと、それだけではなく隣の部屋に居た

「ちょっとしたことで怒鳴りこんでくるおばさん」は、

転居していったということです。

しっかり修練をしたり、純粋な気持ちで祝詞をあげ続けたり、

自分の住んでいるところの気の場を良くする工夫をしたりすれば、

周りにも影響が出て、周囲全体が良い環境になるということでしょう。

良くなった気の場の波動に合えば、

さらに環境が良くなるところに住んで行けることでしょうし、

その良い気の場の波動に自分を合わせることができなければ、

そこから去るしかないわけです。

自分だけが良くなろうとすれば、

自分の波動もそこまでのものだということです。

ところで祝詞ってなんでしょう?