生き方

そういう学びの基本の力をあなたがたにもお届けします。
学びの底辺にある実際的な事柄、
その段階を経て頂点に立つ者たちは、
形のないものに対しても思索を深めて、
抽象的な事柄も思考の中心において、
論理を展開することが出来るのです。
そして宇宙の論理、原理原則、真理に従って、
行動できるかということです。

この地球上の物もの、物質が変化していく、

それを見て学んでいく。
そういうことは底辺の底辺の学びです。
多くの者達は、それしかできないのです。
多くの者達というよりもほぼ全員は、
物質的なものしか学ぶことができません。
しかしながら、あなた方が提唱するならば、
もっと上の悟るという点で、宇宙の存在を理解して導き、
その頂点に立つあなたは、それらの者達を含めて、
神上がるレベルに育てていく仕事をするのです。

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生き方

あなたがたが、なさった仕事に比べれば、
私の存在などたいしたことはありません。
私の名前を間違えたということなど、
たいしたことではありません。
(ババタヌキが、老子、孟子、荘子の 三神が出てきて下さった時、
現世の知識から荘子を孔子と間違えたのです。 )

私がした仕事は、人が学びやすいように

大まかな体系を作ったことであって、
私が提唱した学問などたいしたことではありません。
自分でも褒め称えられていることは、
間違っていると思っています。

私の自慢といえば、
人が学問をするに当たり、学びやすいように系統立てて、

学問をまとめ上げてきたということです。
どの学問から学ぶと良いのか
という点について系統立てて、示したことです。
私のしたことなどたいしたことではありません。
昔の過去の理論者の理論を
わかりやすく並び替えて示したという点です。

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生き方

孟子でございます。
申し(しゃれではありません)上げますれば、
論語を更に かみ砕いて、
世の中のもっと地位の低い者たちが、
生きていく指針になるように、解説書のようなモノを作りました。
その内容もお渡しします。
私が、一から考えて作ったというよりも、
論語を解説して、もっと噛み砕いて
私が表したモノです。
もっと身分の低い者、
もっと地位の低い者達に向けて作ったモノです。
受け取ってください。
学問を学ぶ者達だけが、
受け取って良いモノではありません。
耐えて働いてこそ、論語は生かされるモノであり、
道徳というモノは、日常の中に有るということです。
あなた方が言うところの「功は日常にあり」
と同じ志であるのです。
庶民に学問を広げるための活動をして参りました
私のような浅学非才の者が、
お話しさせていただきましたことに大変恐縮しております。
ありがとうございました。

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生き方

今、お話しされたのは「子貢(しこう)」さんですか、
「顔回(がんかい)」さんですか?
それとも、「曽子」さんですか?

この物語を作り上げたのは、

一人ではないと言うことを認識してください。
孔子の話したこと、残したこと、
昔から伝わってきた言葉を格調高く
まとめたものが論語です。
それは、私も「顔回」も同様、同じ友です。
偉大な内容の物語です。
縁を作って我々をまとめ上げたのは、
孔子の子孫たちと表現できます。
ですから、論語は孔子の話した言葉であると、
子孫たちが言っても、それはそれでよしとします。

「老子の神と、孟子、そしてもう一人、

名前の思いつかない神の三神がたっておられます。」
と、ババタヌキが言います。

これはこれは、ようこそおいでくださいました。

わざわざ遠くの國から、こうして来ていただきましたこと、
大変ありがたく お礼申し上げます。
さて、気はただの気にあらず、
宇宙の縁ある者たちには、
配られる予定の気のエネルギーを、
あなたがかけがえのない功法として誕生させてくださいました。
われわれは、人の生き方を諭してきましたが、
人の生き方に気のエネルギーも
極めて重要であることも悟っておりました。
どれほどに上手な生き方をしたとしましても、
その生き方が理に叶っていなければ、
気が入ってこず、理に叶っておれば、
その者は生かされて元気になることを悟っておりました。
天命を全うして生きてきた者が、
どのように生きようとも、心底正しい道を歩くことができれば、
神の意図により気のエネルギーが与えられて、
目的のある人生を送れることを悟っておりました。
にもかかわらず、
「死んで花実が咲く」者が居ることも事実です。
「死んで花実が咲く」者は、
役割として早期に死が訪れます。
どうのような生き方をしようとも、
それが美しい生き方、正しい生き方であっても、
天からいただいた天命でなければ、
うまくいかないものであるとも思っておりました。
あなたは、あなたに与えられた天命を粛々と歩き、
面々と事を紡ぎ、
しかるべき時を今か今かと待ち望んでこられました。
とうとう そのときが来たのです。
我々も、そのときが来ましたことを
大変うれしく思っております。
我々も、あなた方の天命をお手伝いする立場におります。
祝福する立場におりますことを、お伝えします。
心許ない応援隊ですが、念には念を入れて、
遠慮なさらず、ご自分の命の限り
お働きくださいますように申し上げます。
天より授かって、我々が手にした数々のものを、
あなたにお渡しします。
受け取ってください。
私がお話ししたからには、
孟子、老子、荘子からも、お渡しします。

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生き方


昨年秋(2016年)、中国曲阜に訪れました。
ここは孔子の故郷として世界文化遺産にもなっています。
孔子廟、孔林、孔府の三箇所を見て回りました。
孔子廟を見学している時、孔子の神をと、
呼んでみましたら、孔子ではなく、
別の神が話しかけてきました。

論語を書き上げたのは私でございます。

私が書き上げたものです。
私は神上がっておりますが、孔子は伝説の人です。
孔子が伝えたこととして、
古来の言い伝えを纏めて書物にしたのが
論語になりました。
これが有名になったのであって、
孔子は神の存在とはいえません。
永い期間待ちわびて、
あなたがたが、ここに来られて漸く、
今後の世の中に残れる人となりましたが、
神上がった訳ではありません。
よき言い伝えを残してくれた人、
そして私が書物に書き上げるための仮想の人として
重要な人物でした。
彼の存在は、神として崇められていますが、
次の世界(次元上昇後の世界)に生き残る
人なのです。

先程、孔子が言葉をかけてくださいました。

神ではないのですか?

孔子がよほどうれしかったのでしょう、
あなた方を迎えて喜んでおりましたので、
一言ご挨拶することを許可しました。
彼の存在は、次の世界の人として存在します。
論語の中に書かれていることは、
私や私の弟子が聞き伝えとして書いておりますが、
これは孔子ではなく、世相を反映して創り上げたものです。
昔からの論調にまとめ上げていますが、
孔子の死後に、
後の者たちが書き加えた事柄が殆どです。

この広大な孔子廟も、物語として立派なのであって、

絵巻物のように作り上げられた作品です。
偉大な作り話の中身を、あなた方は見て帰ってください。
私は、あなたがたに伝えたい言葉が、
ひとつあります。
それは「諭す言葉」。
論語の中の諭す言葉を伝えるように指令されています。

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