社会に役に立つということ

アメブロにダンディーさんが書いているブログに、新しく「命」という記事が出ました。

https://ameblo.jp/23142859/entry-12464077784.html

『命』

つい先日保育園児の列に軽自動車が突っ込み、2名が亡くなり、2名が重態という悲劇が起こりました。
TV等でもしつこく報道され、ご存じの方も多いと思います。
亡くなった方、そして遺族の方にはかけるべき言葉も浮かびません。
『失敗から学ぶ』という言葉がありますが、今回の事故は全く救いの無い無慈悲で悲惨なものだと思います。
自分自信も気を引き締め、加害者にも被害者にもなることなく、残りの人生を無事に消化したいと思います。
余談ですが・・・僕の甥っ子もその事故に巻き込まれました。
知らせを聞いたとき、とにかく生きてほしいと願いました。障害が残っても良いからとにかく生きてくれと・・・
そして、やったこともない『遠隔貫頂』を命がけでやり、様態の知らせを待ちました。
甥っ子は『運』よく一命をとりとめ、朦朧とした意識も突然回復したそうです。
遠隔貫頂に意味があったかどうかは分かりません、とにかく生きていてくれることに感謝しています。
他人(血はつながってますが)に対してこれほど強い思いをいだいたのは初めての事です。
自分はくたばっても良いから甥っ子は助けてくれと。
親の気持ち・・・それが少し分かった『令和』始めの日々でした。
僕も少しずつ親になれる人間になっているのでしょうか・・・
だとしたら嬉しい事です。
人の為に祈るということは、大変奇特なことだとは思います。
しかし、果たして効くのかどうかもわからないことに長い時間かけて努力することは
無謀なこと、そして無駄なことだと思います。
元極功法では「功と徳」ということを大切にします。
「徳」が有っても効力つまり力が無ければ何の役にも立ちません。
「功」つまり力が有っても「徳」が無ければ、
社会の役には立たないどころか害になることさえあります。
遠隔貫頂は元極掌門人であったとしても、張志祥先生の代まではやってはならぬ
ということで出来る能力はあっても、やることを許されませんでした。
私の代になって初めて歴代の掌門人からの許可が出て遠隔貫頂を施術する事が許されました。
それを知ってか知らずか、階フタ伝訣もまだ受講していない段階で
遠隔貫頂をやろうという事は、全く無謀なこととしか思えません。
人の役に立とうと思うのであれば、少しでも早く功力をつけることです。
「毎日の修練量増やす」「上の段階の講座を受ける」
こうした努力の結果、自分の能力が上がり、効果を確認出来たら
他人に対して施術することが可能になるのです。
現在の段階では、その人の為に施術を力のある者に依頼することしか出来ません。

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Posted by masuda