友人 K の命日
昨年、8月5日に50年以上つき合ってきた
無二の親友Kが、なくなりました。
彼の顕在意識はもともと五次元に居た神の存在でしたが、
彼の顕在意識はもともと五次元に居た神の存在でしたが、
肉体を持って元極功法を経験する為、
三次元であるこの顕界に生まれてきました。
3年ほど元極を修錬してその仕事を果たし、
三次元であるこの顕界に生まれてきました。
3年ほど元極を修錬してその仕事を果たし、
六次元に神上がりました。
命日を迎えるに当たり、
命日を迎えるに当たり、
神界の感想を聞いてみました。
あなたが死んでから一年が過ぎます
神の世界は、いかがでしょうか?
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あなたと過ごした頃のことを懐かしく思い出します。
本当にあの頃は楽しかったですね。
努力すれば変わる。
何かをすれば、結果がでる。
これは、人として生きることの限界なのですが、
それはそれは楽しかったです。
未来が見えないから、努力する。
限界が判らないから 変化を求めて頑張る。
未来が見えないから、努力する。
限界が判らないから 変化を求めて頑張る。
それらのことが人として生きる楽しみでもあるのです。
神の世界というのは、楽々としていて何も苦しみはありません。
しかし、あのような未来は判らないから楽しい。
結果を喜ぶ。ということはありません。
人として生きるというのは、
人の喜びというのは歓喜に満ちていますが、
神の喜びは もっと上の段階の喜びです。
ですから、あの頃の喜び、人として生きた喜びは、
神の喜びは もっと上の段階の喜びです。
ですから、あの頃の喜び、人として生きた喜びは、
もう味わうことが出来ません。
ですから懐かしいのです。
ですから懐かしいのです。
あのころの感情というのは、もう味わうことが出来ません。
良い、悪いということでは無くて、なつかしいのです。