ダリ展(新国立美術館) 6
以下のように多摩美術大教授の椹木野衣(さわらぎのい)さんの
紹介文が読売新聞から出されています。
その中で、ダリは常識と非常識 、
現実と夢の垣根がなくなっていると述べています。
しかし私はそうではないと思っています。
椹木さんが夢と言っているものは、
ダリには本当に見えていたのだと思います。
我々のように修練によって、
あるいは師の力によって強制的に、
天目が開いていれば、
通常の人たちには見えない無形の映像が見えるわけです。
それを物質的な映像と、
重ね合わせて描いただけだと思われます。
むしろその2つの映像を区分けして描くことなど不可能だったからです。
そうした手法で書かれた作品の中に、
「姿の見えない眠る人、馬、獅子」
「見えない人物たちのいるシュールリアリズム的構成」
「死の快楽の中で」等があります。
死後、神上ることが約束された上、生まれてきたダリにとって、
そうした能力が発現された事は当然のことだと思われます。
上記の作品などの多くは、 1930年代以後に発表されたものです。
描きあらわす技術を身につけた上で、
鋭い観察力と狂人じみた思索、しつこいほどの表現欲求が整った後、
そうした作品が生まれ出てきたのだと思います。
我々も含め、
有形有象と無形無象、有形の世界と無形の世界、
この双方の存在を認め、
そうした構造の中でいかに有意義な生涯を送るのか、
問われているところなのです。