人の波動について 3
全体的に、自分の波動に近く、より精妙なものに
好感を持って近づいていく思考の人と、
自分の波動に近いけれども、
むしろ粗い波動の方向に近づいて行きたがる人々に別れます。
本人が心地よいと思う波動は、その人ごとに異なるのです。
段階が上がっていくときの心地よさは、
それはすっきりとしてさわやかなものであるのですが、
ある者達は、自分より波動の下の人に優しくしてあげることで、
自分が落ちぶれていくのだけれども
自分の優しさに満足しつつ、
自分が上位に立つことが楽しいと思う人がいます。
そうした者達にとっての楽しさは、
下の者に親切にしてあげるときの自分の充実感、
充足感のようなものだといえるでしょう。
修練をする時に楽しいと思う者たちの楽しさの中身というのは、
自分がよりよく変わっていくときの楽しさであるでしょう。
しかれども、あったかくて細やかで、精妙な波動というのは、
上に上がれば上がるほど、辛くて厳しいものです。
それは体の要求も、心の要求もついて来れなければ、
それは羨望の位置になるわけです。
それに自分の波動がついて行けず、
上がっていけない者達には極めて厳しい、
常に叱られている、叱られてばかりいるような、
さいなまれる気持ちになるわけです。
優越感どころか、常に自分の位置は下にあり、
従わなければならないような辛さが常にあり、
従っていくことの厳しさは、いつも頭を垂れていなければならないような
いたたまれない辛さなのです。
粗い波動の方向に意識が向かっている人の中にも、種類があります。
前述のように、下の者に親切にしてあげて優越感を得る人と、
怒鳴り散らして威張ることで優越感を得る者も居ます。
特に、そうやって怒鳴り散らし、人を見下ろしていたい者達は、
自分にも相手にも悪い影響を及ぼすのですから、
それは倍返しになって、どんどん波動は悪くなって行きます。