「達磨大師の神」と話す 2
中でも、慧可(けいか)が左腕を切り落としたというのは、全くの出鱈目です。
少林寺では、両手を合わせることなく、右手のみを胸の前に出し、拝みます。
少林寺の拳法というのは、右手から気を受け入れて、左手から流します。
ですから左手は、常に補助的な動き、役割をします。
そういう意味で、視覚的に左手は無いも同然、あまり動きもしない。
そうした形が、そのような伝説を作ったのでしょう。
私が「赤い雪を降らせよ。」と言ったことはありません。
無理難題を言って、難行苦行をさせたことは事実です。
ただし私自身は、自らも座り続けて、楽しんで修行をしたので、
それが苦行だとは思えなかったのです。
元極功法は、仏教が伝わってきて、仏教と道教の粋を集めた功法になりました。
私の修行が、あなたがたの功法に役立って、
今後の終末の時に花開くことを、無情の喜びに思っています。
あなた方が終末の時に活躍するので、私が9次元に存在できるわけです。
感謝しています。
あなたの功法に、私の創った経(きょう)を使っていただけることは、
誠に嬉しいことです。
日之本元極の中に、生かして入れてください。