「達磨大師の神」と話す 11
## 達磨さんは、洗随経で、直接的に脊髄の、
その中の随を洗ってキレイにしていこうと思ったのか、
それとも私が清昇濁降の中で行っている、無形の中脈に三元を通すことによって、
その波及効果として、脊髄をキレイにしていこうとしたのか、どちらですか?
私が座り続けて修練をしたときに、尻が痛くなって、足も痛くなった。
座り続けて修練を続けるには、尻も足も痛くないようにしたい。
その時に、まず骨を緩めた。
ところが、骨だけでは緩まないので、さらに筋肉を緩めた。
それらのことを、順に二つに分けただけのことで、元は一つのことです。
痛かったので骨を緩めた。
しかし骨だけを緩めても、筋肉が緩まないと骨も緩まない。
筋肉を緩めるためには、気の巡りが良くないと、血の巡りも良くならない。
そうした経過で、発見されたことに過ぎません。
あなた方が、中脈に着目していることは、元極功法の特徴的なことであって、
極めてすばらしいと思います。
しかし、私は当時そのことに気がつきませんでした。
(増田の考え)洗随とは、背骨の中を通っている随をキレイにして、
骨の動きを良くしようと考えた名前だったのであろう。