絶食・絶飲食錬功会 29
食事の質と量について(一)
(070705 掲載済み)
35年ほど前、仕事で取引のあった米国人のマネージャーが、次のように言ったことがありました。
「我々アメリカ人は喰うために働いているが、日本人は働くために喰っている。」
もちろん彼は、当時の日本人の生活を茶化して言ったものですが、
この頃の日本人の生き方が悪かったとは思いません。
その後の日本は、彼の言う米国人のような生活態度に近づくように変遷してきましたが、
その道はますます欲望の増大していく無間(むげん)地獄に堕ちていくようなものです。
自らの正しい生き方、働き方をもって、社会、世界、通じては宇宙に少しでも貢献できるよう、
喰って生きながらえていく事は、むしろ推奨されるべき事です。
「喰うために生きるのではなく、正しい生き方をするために喰う。」
のです。
しかし先進国で飽食の限りを尽くし、もったいなくも食い物の多くを残して捨てている一方、
世界の中では餓死していく人々が少なからずいる現実があります。
うまく分け合えば、十分世界中の人々が足りるだけの食料があるにもかかわらずの現状です。
いずれ近々、食料を全世界で融通し合ったとしても足りなくなるときが来るでしょう。
正しい生き方をしようにも、喰えずに死んでいく人々が出てきます。
そのようなときにも困らない為に、
食べる量が減っても生きられる様にしておけば良いのです。
元極功法は、それを可能にする功法です。
本来、人は少量の雑穀と野菜で生きられる様に創られています。
しかし、文化が芽生え、生活が豊かになってくると、
いろいろな物を楽しんで食べる様になってきました。
一日何カロリー必要で、何が何グラム、何を何グラム以上取りましょうと、
提唱する現代栄養学は、自分たちの欲望を取り繕う言い訳に過ぎません。
有形な物だけでエネルギーを取り入れるという風に限定して言えば、
正しいと言えるかもしれません。
人が、人の能力をきちんと発揮して生活すれば、
目に見えない形を取って、エネルギーを体内に取り入れられる訳で、
そうすれば有形で取り入れる量を減らすことが出来るのです。
キャノンS90