元極功法の閉関とは 5
1996年の夏頃だったと記憶していますが、
蓮花山で50日間の「閉関」をするから希望する者は応募しなさいという連絡がありました。
その頃、私は東京で、小さな会社を運営していましたから、
50日間のブランクは、社長として廃社に通じるものでした。
しかし、その時やっている仕事などは、同じように出来る者が世界中に何百万、何千万人もいるのに対し、
その時の自分の功力からして、同じレベルで元極を通じて世界に貢献出来る者は、五人といないと思い、
会社は家内に託し、元極に生きる決心をしました。
まだ二人の子供達が小・中学生の時でした。
日本から応募したのは、私一人。
仕事を整理しながら、修練時間を多くして中国に発つ日を待つ毎日でしたが、
渡航の3日前になって、「閉関」中止という連絡がありました。
理由は、応募人数が多すぎて受け入れ出来ないというものでしたが、
今思うに、私のレベルがまだその段階に達していないのを、
張先生が御覧になって止めたのかもしれません。
未だ嘗(かつ)て張先生の元で、「閉関」をしたというのは、
たぶん、中国元極学研究会副秘書長だった辛勤女士だけしか耳にしたことはありません。
しかし、当然のことながら、
一番弟子であり同会秘書長であった余開記老師や、
娘である冬梅さんはされていることだとは思います。
シグマDP2Merrill(メリル)