張家掌門人 4
[以下の掲載内容は、張志祥先生の了解を取って掲載をするものです。]
張家二代目である張先生のお父様に、なぜ奥様に衣鉢を渡してしまわれたのか、お話を伺いました。
私が、どうしてそうしたのかというと、
道をはずれたといってもおかしくはないのですが、領域を広げたかったのです。
ひとりの孤独の身で、世界観が拡がるような修練をしたかったという思いからです。
しかし、「功は日常にあり」といわれるように、社会生活の中で耐えて、
日々、耐えて生きることが出来なかった訳ですから、
どんな理由があったにせよ脱落をしたと言われても仕方がないことです。
(張志祥先生は、常々「出家をしたり、山に籠もるようなことはしてはいけない。」と、仰っていました。)
自分の領域を広げたい思いがあったにせよ、大きな働きはしていません。
また、別な機会、張家にその力を授けた普善禅師が、
「わしは、自分の弟子(張志祥先生の祖父)の『死に水』を取ってやったのだが、
わし自身の『死に水』は、その孫である志祥が取ってくれたのじゃ。」
とおっしゃっていたのも印象深いことでした。(完)