紀伊半島に田辺市があります。(護摩壇山へ行きなさい)―2
何故行かねばならぬのか?
そこで修行をし、神となっている宮本武蔵は、教えて下さいました。
ここは、とりもなおさず修練者の集まるところでした。
吉野の大峰山、高野の奥山の護摩壇山、この周辺が、修行者の集まるところでした。
この地形の険しさ、奥まって、人気のない険しさ、頼る者のない険しさ、それらの険しさを禊ぎの修練として、修行として、多くの者達が、この場に寄り集まってきました。
空海もしかりですが、彼は、全国を行脚して修行をしましたから、ここに止まることをしませんでした。川からせり上がった、越えるに苦しい所です。この土地は、本当に畏れ多い、恐ろしい土地です。この厳しさは、修行をいっそう、進めました。この土地で修行した者は多くいます。それらの者達を代表して話します。
この、護摩壇山で修練をした数多くの者達の中には、修練によって力を付けた者もいれば、力を付けられなかった人もいます。そして、思いが実現した者もいるし、実現しなかった者もいます。力を付けた者達の力を合わせて、その思いを貴方に渡します。また、力を付けられなかった者達の思いも貴方に、ゆだねて渡します。
この地にようこそ来てくれました。この山の、さびしい。けわしい。きびしい。われわれは、畏れおおいと思っていますけれども、この地に良く来てくれました。あなたが、この地に再び、来ることはありません、
最後のこの時(次元上昇による地球最後の時)に、貴方に出会い、ここで修行をした者達の何の為に修行を積み上げてきたのか、その思いを貴方に渡す役割を頂いたことを嬉しく思っています。