沖縄で想念が祓われたこと―3
どうして救う役割と、日之本元極を拡げる役割を別にしないで一緒にしたのか??
そんな疑問が我々にも湧いてきます。神に質問してみました。
二足のわらじを履く事が辛いからの質問ではないと分かっています。
神の導きを受け、日之本元極を大きくしていくことが、どれほど真実の道を歩くという意味で大切なことか。
功法を拡げていくことで、試練が与えられて、修練を乗り越え、試練を乗り越えて、努力した先に、救える意識が存在します。
その構図が日之本元極では、課題として与えやすいのです。
どうしてかといえば、兼務する以外に、多くの意識を救う為の良い策が無いからです。
試練を与えられる → 修練をして乗り越える → 試練を与えられる → 信じて修練をする。
このことが、延々と続くのです。
試練、しゅうれん、試練、修錬、しれん、修錬・・・・・・・
顔がヒクヒクと、けいれん しております。