日之本元極の源流(6)―4
寇謙之について、もう少し詳しく、そしてその時代的背景を知っていただくように、「仙学研究舎 ホームページ」より以下に転載いたします。(その4)
2、仏教の宗教形態を取り入れ、道教の戒規科儀を制定した。
仏教は非常に整った宗教形態を持つ宗教であり、中国の民族宗教に対して一つの模範を示した。中国道教がその宗教性を向上させていくには、仏教の宗教形態を取り入れ漢民族の文化に適合させなければならなかったが、この過程は南北朝の時代に完成した。陸修静は《霊宝経》の中に仏教の三世輪廻・因果応報の説を取り入れ、徳を積み善を行うことや世の中の人々を救うことを強調した。《霊宝度人経》などの多くの道書に因縁業報・輪廻五道・天堂[天国]地獄などが書かれ、多くの仏教用語が取り入れられた。そのほか、《老君説一百八十戒》および五戒・八戒・二十七戒などは仏教の戒律とも似通っている。経典によって元始天尊あるいは太上老君が説法しているが、戒律の内容は儒家の「三綱五常」などの礼教規範と一致している。世の中の人々に善を勧めるという社会倫理思想がはっきり現れてきたことは中国の道教思想の大きな変化であり、道教が次第に成熟していった印である。また、陸修静は道教に多くの斎儀式を制定し、道教の科儀を充実させた。陸修静は斎儀によって道士の身・口・心の「三業」をコントロールすることを考えた。彼は、身で礼拝し、口で経を読み、心で神を思い、身・口・心をすべて道に帰すことができれば、内外に侵略者が入り込むことはないと考えた。彼は天師道・上清・霊宝の諸派の斎法を総合した。霊宝斎の「有為」を主旨とする金・黄・明真・三元・八節・自然などの斎法に、三皇斎・指教斎・塗炭斎法などの古い斎法と無為を主旨とする上清斎の坐忘・心斎の二法を加え、「九斎十二法」と称した。かくして、斎儀は道士の伝経受戒や日常の修行、祭日の課業となり、彼らが社会の中で祈祷したり済度する法事や布教するための宗教活動ともなった。道教の宗教活動が規範化したことは明らかに道教が成熟していった印である。
3、経派道教を改革・融合し、道館制度を発展させた。
陸修静の時代には、南朝の天師道の祭酒制度も北朝と同じように非常に混乱していた。陸修静は一度は《陸先生道門科略》を著し、三張の旧法によって天師道を整理しようとしたが、あまり効果は上がらなかった。その後、彼は朝廷の崇虚館に身を置き、全国の道教の指導者の立場になった。彼は南朝の孫恩の反乱が失敗に終わったことで民間天師道が衰退し、士族の神仙道教の天師道が発展した事実や、符道教に属する天師道の特性を考え合わせ、彼自身の威信や著述によって上層の天師道と南方で盛んに伝えられた経派道教(三皇派・霊宝派・上清派)を一つに融合させた。また、修行の順序を区分し、体系だった段階に従って修行する経派道教を生み出した。この陸修静の道教の改革は道教の歴史の中で大事なことであるが、先人たちはこのことについてほとんど論述していない。陸修静の改革以降、天師道はその経から正一派(張道陵の《正一盟威》という道書に由来する)の経派道教に区分され、その派内に正一弟子(あるいは盟威弟子)・正一道士・正一法師(もとの天師道の祭酒)などの階級が設けられた。正一派は経派道教の中では最も低い位置に置かれた。道教に入門すると、最初に正一弟子となって正一派の経を受け、それから順々に三皇弟子・霊宝弟子となり、最後に最も高度な上清派の経を授かった。陸修静の修行する斎儀は、正一派の指教斎・塗炭斎に三皇斎・霊宝斎・上清斎を融合させ、階層的に区別している。三洞経を融合し体系だててクラス分けしたことは後世の道教に大きな影響を与えた。この改革は唐代の道階や経の授受制度、あるいは明代に正一派が三山符(竜虎山正一派・茅山上清派・閤 山霊宝派)を統一していく手本になった。そのほか、陸修静は南朝の士族の天師道が静室や道館を設けて宗教活動を行っていた現状を踏まえ、道館制度を推し進めて宗教の組織形態を成熟させた。この道館は昔の天師道の道治とは違い、その経済的な財源は信徒から集める米ではなく、官僚貴族の布施、朝廷からの勅賜や免役、直轄の田畑や建物などによった。道士は道階に従って道館内で宗教活動を行ったが、これは仏教の寺院制度とほぼ同じものだった。このようにして、教会式の宮観道教が形成されていった。
陸修静は崇虚館を主宰していた時、朝廷から非常に尊敬されていた。また泰始七年(471年)に明帝のために三元露斎を建てると、堂の前に黄気が天に昇り、明帝の病気が癒えたので、大変な吉祥であると思われた。「先生は大いに法門を開き、奥深いものを取り扱い、朝廷も在野も気を配り、道士も世俗も帰心する。道教は興こり、ここで盛んになった」と言われ、道教の盛況ぶりは大変なものだった。陸修静は元徽五年(477年)に世を去った。おくりなは「簡寂先生」である。その有名な弟子には、孫游岳・李果之などがいた。南朝の優れた道士には、顧歓・孟景翼・宋文明・伯玉・劉法先などがいて、みんな道教の発展に貢献した。その中で最も有名な者は孫游岳の弟子の陶弘景である。