老子よりの話(1)
先日、久しぶりにリニューアルした「階ふた」の講座を開催しました。この「階ふた」に上がれる者は、ほんの限られた「徳」の高い者でしか有りませんが、その先「階み」に至っては更に更にハードルが高いと言わざるを得ません。
随分前に「階み」の講座を開催するときだったかに、老子の神に教えを請うたことがありました。「階み」功訣(6)に関連した内容のことです。
ふたえみえ さんげんわする めぐりみち
やえやまこえて めぐみのはたえ
む ひと ふた み よ いつ むゆ なな や ここ たり う
日之本元極の功訣は、一音一音の響きが、その無限の効用を発揮するので、全て平仮名で書かれています。もし漢字にすれば、その漢字の持つ限られた意味に効果が限定されてしまうからです。
敢えてこの功訣を漢字にすれば、
二重三重 三元和する 廻り道 八重山越えて(肥えて) 恵みの畑へ(二十重)
というようなものになります。
これなら誰にでも、意味は分かります。
三元が、いくつかの体内の道(経絡など)を通り、また多くの難関(病んだ臓器など)身体の中を廻る という意味もありますが、ここでは、
二重三重の数々の山を乗り越えて、ようやく恵みを得ることが出来る畑へ来ました。しかし、更なる恵みの畑へは二十重でもあるのです。ここから更なる畑への旅立ちとなるというような意味になる訳です。だから、これからも本当の意味での苦難が続くという意味に取れます。
漢字にしたら、上のように誰にでもその意味が分かることだけでなく、二重の「ふ」だけでも、無限の意味合いを持ち作用させている事を知るべきです。
(つづく)